授業レベルの『学び合い』から抜けださないといけない

『学び合い』は、授業レベルの話ではなく、考え方である

 

という話をよく聞いたり、西川先生がおっしゃってたりします。これに関しては現場でも、それ以外の所でも感じることが多いです。

 

例えば、僕が大学院を修了する前の出来事。

 

西川研究室では、年を跨げばゼミ長が変わり、実質的には代替わりします。1つ上の先輩をはじめ、多くの先輩方はそこからは全体ゼミと呼ばれる、ゼミ生全員が集まって議題をこなしていくというものに来なくなります。

 

しかし、僕らの代は、1つ下のゼミ生の人数が少なかったという事もあり、かじ取りは後輩に任せたものの、卒業するまで全体ゼミに参加しました。

 

しかし、それが良くなかったようで。

 

「もっとこうすればいいのに・・・」とか「こうしたらもっとスムーズにゼミが進むのに・・・」とか思ったことをどんどん言ってしまった事で、結局かじ取りを任せることができていなかったんだと思います。

 

それによって、今のゼミのスタートを少し遅らせてしまった可能性がある。

 

 

結局今のゼミは、新しいM1を迎えて順調に進んでいるみたいですが、僕らは『学び合い』における「子どもたちは有能である」と信じる(今回は後輩と読み替える)事ができていませんでした。

 

こういった所で、まだまだ授業レベルの話から抜け出せていないんだなぁと気づきました。

 

 

それ以外にも、「多様な人と折り合いをつけて・・・」という学校観の所は結局僕が職場で働くうえで一番大事にしている所でもありますし、部活動の運営や生徒指導に関しても、結局『学び合い』の学校観と子ども観を軸に進めています。

 

 

要するに、この考え方は授業うんぬんの話ではなくて、社会で生きていく、集団を動かす上で大事な事だという事だと考えました。

 

 

とはいっても、まだまだ実践しきれていないのが現状です。