『学び合い』は型ではなく願い

教員採用試験が終わり、やっと筆記の勉強から逃れられたとちょっと一息。

 

 

勉強していた時間が空いて余裕ができたので、ここからまた本を読んだり数学の勉強を再開したりしようかなと思います。

 

 

その第一弾として、最近発売された『学び合い』についての書籍を読みました。

 

 

 

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僕が所属してた上越教育大学の西川研究室のゼミ生と先生が書かれた本です。

 

 

僕も勤務校で『学び合い』を実践しているのですが、その実践を見つめなおすためにもこういった本に触れることの必要性を感じ、購読しました。

 

 

 

色んな先生方のインタビューもこの本には書かれているのですが、

 

『学び合い』は型ではなく願いだという事がたくさん書かれてありました。

 

 

まさに僕もそうだと思ってて、結局大事なのは彼らが将来幸せに生きていくために学校教育で何を施していくかということだと思うんです。

 

 

つまり、一斉授業だとか、バズ学習だとか、『学び合い』で全員達成を目指す事だとか、そういった授業の形にこだわる事でもなく

 

その授業を行った結果彼らの学力が上がったかどうかとかでもなく

 

授業を通して彼らが将来を幸せに生きていくための何かを手に入れられているかどうかという事なんだと思います。

 

 

もちろん、そのために学力が必要な人もいるし、評価や検定が必要な人もいます。

 

 

それらについては子どもによって違うと思うのですが

 

将来会社で人間関係を適切に築いていくかであるとか

 

大人になったときに一緒に飲みに行ける仲間がいるかどうかとか

 

その辺りは全員が共通して必要な事だと思うんですよね。

 

 

それを授業の中で与えるためには何をすべきなのか

 

という事を考えた授業であればそれはもう『学び合い』ですし

 

もちろん学級経営や部活経営、個人との関わりの中でも彼らの将来の幸せに向かって行う教育活動は全て『学び合い』だと思います。

 

 

その結果、僕自身は授業でほぼセオリー通りの『学び合い』をしています。

 

 

授業の最初にちょっとだけ講義をしてみたり、子どもに教えてと言われれば教たりしているので、”ほぼ”なんですが。

 

 

それは僕なりに今の学校に適応させた『学び合い』の形です。

 

 

どんな形でやろうが、大切なのはその実践に願いが込められているか。

 

 

それを再認識することができました。