彼の保険商品ににしたいなと思った理由

先日、保険会社に勤めている友人と話をしました。

 

 

 

なんの話かというと、まぁ簡単に言うと保険の営業なのですが、彼の言っている話には納得できるものがいくつもありました。

 

 

 

 

まず、円の価値について。

 

 

 

銀行にお金を貯金する人ってたくさんいらっしゃると思います。

 

 

 

株とか投資をすることで資産運用をすることってやっぱりハードルが高い。

 

 

 

お金が増える可能性はあるけど、減る可能性もある。

 

 

 

それを考えると銀行にコツコツためている方が、確実にお金がたまっているように見えます。

 

 

 


しかし、インフレってって経済の価格水準、つまり物価は長期的に見ると上がり続けています。

 

 

 

ラーメンも1杯500円で食べられた時代もあったそうですが、いまや1杯1000円なんて普通ですよね。

 

 

 

でも、銀行に預けているお金の値段は変わらない。

 

 

 

つまり、ラーメンの価値が2倍になっている分、お金の価値は半分になってしまっているということです。

 

 

 

だからむしろ、銀行に預けていたら確実にお金の価値を下げてしまうんです。

 

 

 

そのインフレに合わせてお金の価値も一緒に動かしていった方がいいよねってのが資産運用です。

 

 

 

 

って感じの話をはじめ、本当にいろんな話を聞かせてもらうことができました。

 

 

 

 

現状、僕も月に少しづつですが投資信託の方にお金を回している事もあって、余裕のあるお金が無いため彼の商品を買うことはできませんでした。

 

 

 

ただ、彼が紹介してくれた保険は必要だなと思うようなものだった事も事実です。

 

 

 

だから、来年に今の彼女と結婚して彼女も働き始めて、家庭としてお金に余裕ができだしたらもう一回連絡すると約束しました。

 

 

 


というのも、その保険商品自体が魅力的だったということもありますが、何より彼がものすごく勉強していて、出てきた質問に対しても真摯に答えてくれた事が何よりいいなと思いました。

 

 

 

勤務先にも保険のお話をしに来られた方がいらっしゃったのですが、その方は僕の事を考えているというよりも、商品を売りに来られている感じがして、どうしても最後まで保険とか投資とか特有のうさん臭さがありました。

 

 

 

ただ、友人の場合は話をしていて僕の事を考えてくれているという実感がありましたし、友人自身がちゃんと勉強しているなと感じることができました。

 

 

 

 

やはり、何をするにしても、何を売るかとか何を話すかより、誰が、どんな人が話をしているかというところが大切なんだなぁと思いました。

現代は本当に多様性が受け入れられているのか?ーコンビニ人間 村田沙耶香」ー

BOOK・OFFで小説を探していた所、なかなかピンとくるものが無い。だから、たまにはネットで検索して評価の高い小説を読んでみようと思い、「小説 おすすめ」で検索してみました。

 

その中で引っかかったのが、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』でした。

 

 

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コンビニ人間 (文春文庫) 村田 沙耶香 https://www.amazon.co.jp/dp/4167911302/ref=cm_sw_r_tw_dp_E9E13GAX6A599E3ANMBB

 

第155回の芥川賞を受賞した作品だそうです。

 

この小説は本当に・・・いろんなことを考えさせられました。

 

 

 

主人公の古倉恵子は、正直普通の人とは感覚が違う人で、一言で言えば「変な人」です。

 

公園に落ちていた鳥を供養するどころかから揚げにして食べようと言ったり、目の前で起きている喧嘩を止めるためにスコップで頭を殴ってみたりと。

 

そんな彼女のことを、家族までもが「どうやったら治るの?」とまるで病気にかかっているかのように心配します。

 

しかし、彼女にとってはそれが普通で、むしろどこが悪いのか分からない。

 

 

やがて彼女はコンビニのアルバイトとして働くのですが、18歳から36歳まで18年間コンビニでアルバイトを続けます。

 

そんな彼女のことを周りはやっぱり非難します。

 

「就職しないの?」「結婚しないの?」

 

そうやって世の中の普通であることを強制されます。

 

 

 

でも、彼女にとってはコンビニで働くことが心地よくて、いきがいでもあります。

 

彼女にとっていくら充実していたからって、世間は彼女のことを「普通じゃない人」というレッテルを張り、何かちょっとした変化があればその変化に対してどんどんと他人に勝手に物語を作られる。

 

「彼氏できたの?どんな人?じゃーこれから飲みに行こうよ、彼氏もつれて!私が説教してあげる!結婚した後の仕事は・・・」

 

といった感じで。

 

 

 

最近よく「多様性」という言葉が使われ、性別とか国籍とか関係なく受け入れていきましょうといった風潮になってきていると思いますが、結局世の中のまともとかけ離れた人を見ると、人はその人を色眼鏡で見てしまう。

 

その色眼鏡でみた世界を基に、あの人はきっとああいう人だとか言って、どんどん偏見が広がっていき、やがてその人は普通の人という村から排除されてしまう。

 

 

 

僕自身も気付いていないところでそういった事をしてしまっているのではないかとこの小説をよんで考えました。

 

 

大学院に入ってきた時なんか特にそうで、同じコースに髪を染めている3人組の女性がいたのですが、まじめ腐っていた僕は「教育大学の大学院に髪の毛染めてくるなんてどうかしてる」と、一方的に彼女たちを嫌っていました。

 

あ、今は3人ともメチャクチャ仲いいですよ。

 

 

こんな感じで、僕の中の普通を勝手に作り上げて、そこに当てはまっていない人を排除してしまう考え方はよくないなと思います。

 

人間生きていれば100%色眼鏡を書けているのですが、その色眼鏡自体を客観的に見ることができれば少しでもそういった考え方も少なくなるのではないかなと思います。

 

 

 

本当にいろんな事を考えられる小説で、「多様性」が求められる今、たくさんの人に読んでもらえたらなと思います。

自己満足の『学び合い』にならないためには誰かからの批判はプラスになる

体育の授業の単元がマット運動に入りました。

 

僕は例によって『学び合い』方式で授業をしています。

 

課題技リストを彼らに渡し、「授業6回分あげるから工夫してやってな~」と、授業を進めるようにしました。

 

元々ダンスとか体操とかやっている子は次々と技をこなしていくのですが、前転すら苦手な子ももちろんいます。

 

その中で彼らがどうやって動いてくれるのか、非常に楽しみな所です。

 

 

 

さて、いつも授業を見てくださる方がいらっしゃるのですが、その方は「やってない人はそれはそれで個別最適化なんですか???」とか、色んなことを質問してくださいます。

 

そうやって質問していただける事って、ものすごく幸運な事だと感じています。

 

 

 

西川研究室という所で2年間『学び合い』を学んできましたが、それを授業で実践するのはもちろん今年度が初めてです。

 

まぁ大学院時代にもやっていましたが、単元を持って、自分の責任で授業をするのはもちろん初めてです。

 

だから、僕の『学び合い』の授業は不十分な所が多いです。

 

そもそも完璧な『学び合い』とか、完璧な授業なんてないんですから。

 

 

 

その中で、『学び合い』をあまり知らない人からの質問は、僕の視野を広げることができるものだと感じています。

 

「『学び合い』の考え方で行くとこれは絶対○○で・・・」と思う事も多いですが、その考え方が現場の考え方に馴染まない部分がある事も事実です。

 

その中で、いかに自分が今できる最もベストな授業ができるのか。その線引きを知ることができているなと感じます。

 

 

 

また、そうやって質問していただける事って、自分の考え方を復習することができるんですよね。

 

中には否定的な批判もあり、心が痛むことだってありますが、それも自分が成長するための1つの材料なんです。

 

その意見をしっかりと受け止めて、自分の中でかみ砕くことで、更に自分の実践に磨きをかけることができます。

 

 

 

もし、僕一人で『学び合い』の授業をしていたら、自分の自己満足の授業になっていたかもしれません。

 

しかし、そうやって1歩引いたところから授業を見ていただき、意見をいただけるこの環境に感謝しながら授業をしていきたいなと思います。

いつもすき家で牛丼並のサラダセットを頼む性格について

コロナ夏休みを機に読み始めた小説。その中でも原田マハさんの小説にハマっています。

 

ただ、どこかハマっているという表現が自分の中でしっくりきません。

 

どちらかと言うと、小説を選ぶ中で「原田マハさんの小説なら不正解である確率は低いだろう」という感じになるんですかね。

 

 

 

僕って、できるだけ不正解を引きたくないんです。

 

不正解と言うか、例えばラーメン屋にいったとしても変わり種を頼むことはせずだいたいはいつも同じものを頼むし、すき家では悩んだ挙句いつも牛丼並のサラダセットやし、映画も見たことがあって面白かったものをリピートしてみることが多いです。

 

チャレンジしてみて「あぁ、やっぱいつものにしとくんやった・・・」と後悔するのがメチャクチャ嫌いなんです。

 

堅実に生きてるという言い方もできると思うのですが、この常に最適解を求めているような生き方には自分自身でも「う~ん、、、」と思う事があります。

 

 

 

だって、面白くないじゃないですか、何かに期待することに怯えて、自分の中で正解に近いものばかりを選んで生きていくのって。

 

教師という仕事を選択したのも、正直そんな自分の性格上教師という仕事が「正解に近い仕事である」という理由も少なからずあります。

 

教師になっておけば世間からも「先生」と呼ばれ慕われることが多いし、公務員やから給料もそこそこいい。転勤も自治体の中だけでしかないし、終身雇用・年功序列で将来的にも安定している。

 

そんな正解に近い職業と僕は考えていたから、大学が決まったの際に教員免許が取れるというだけで「じゃあ教師でいいか」と軽い考えで決めたのだと思います。

 

 

 

ただ、大学院ではいろんな事にチャレンジされている方が大勢いらっしゃいました。

 

大学院在学中の2年間で、学外のイベントにもいくつか参加させていただきましたが、いわゆる意識高い系の人は安定よりもむしろ自分が面白い、ワクワクする方へ積極的に挑んでいる人が多いように思いました。

 

 

 

そんな人たちに憧れを持ちながらも、20年ぐらい堅実に生きてきた僕はなかなかそんな自分の殻を破る事はできず、まだまだすき家では牛丼並のサラダセットを頼んでいます。

 

なにかきっかけが欲しい。

 

そう思って最近はいろんな事にチャレンジしています。

 

小説を読むだけでも、今までの僕からしたら大きな1歩なんですけどね。

 

自分をアップデートさせるためにも、もっともっと自分がワクワクする方に進んでみようと思います。

『生きる僕ら』原田マハ

原田マハさんの『生きるぼくら』を読みました。

 

 

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生きるぼくら (徳間文庫) 原田 マハ https://www.amazon.co.jp/dp/4198940142/ref=cm_sw_r_tw_dp_033QP0CW2QKG5YSCCVN3

 

原田マハさんで読んだ小説は『本日は、お日柄もよく』『楽園のカンヴァス』『スイート・ホーム』に続く4作目。

 

そろそろ違う作家さんの小説も読まないと、、、

 

 

 

この『生きる僕ら』の表紙の絵は、中学校の美術の教科書の表紙にもなっているみたいです。

 

 

 

学生時代にひどいいじめにあった麻生人生(あそうじんせい)は、そのまま引きこもりになってしまう。母親と2人暮らしだったが、ある突然母親はアパートを出て行ってしまう。本当に一人になってしまった人生は、母親が残した年賀状を手掛かりに、小さい頃遊びに行っていたおばあちゃんの家に行く事に。様々な事実に直面しながらもおばあちゃんやおばあちゃんの家にいた1人の少女、近所「めし」屋の志乃さん他仲間たちと米作りを行いながら人生の成長を追う物語。

 

 

 

原田マハさんの小説は、原田さん自身がキュレーターの経験もあるだけに、本当に描写が鮮やかで、挿絵は一切ないのに物語の情景が鮮明に浮かんできます。

 

また、季節に応じた描写や米作りと並行して書かれた主人公の心の変化も読んでいてとてもワクワクします。

 

その傍らで描かれる恋物語にも心が惹かれてしまいますよね。

 

 

 

この小説では、人というのはとても温かい生き物なんだなという事を考えさせられました。

 

作品の中でおにぎりの話が出てくるのですが、コンビニのおにぎりと誰かの手作りのおにぎりって同じおにぎりでも全然味が違いますよね。

 

機械が握っているコンビニのお握りとは違い、人が握ったおにぎりは握った人によって大きさや形が全然違うかったり、家庭によって具が違ったりと特色の出る料理の1つだと思います。

 

誰が握ってくれたおにぎりだという事が分かるというのはとても温かく、その温かさの分までおいしく感じるものなんですね。

 

また、一人で食べるおにぎりよりも、みんなで仕事で疲れた後に一緒に食べるおにぎりの方が数倍おいしく感じますよね。

 

 

もう一つ、人は一人では生きていけないんだなということを感じました。

 

米作りはもちろん、多くのことは誰かに支えられることによって成り立っています。

 

仕事をするのだって、学校に行くのだって、生きていくのだって一人で生きている人なんてほとんどいません。

 

人間誰にだって得意不得意はあるし、性格だって一人ひとり違います。

 

ただ、自分の不得意なことは誰かにやってもらえばいいし、誰かの苦手な事は自分が補ってあげればいい。

 

そのために、人間の多くは誰かと支え合って仕事をし、支え合って生きていっているのだと思います。

 

その上で、相手に「ありがとう」と声に出して言う事。

 

それが生きていくうえで一番大事な事といっても過言ではないんだなとこの小説を読んで感じることができました。

 

だからこそタイトルが、生きるぼく"ら"と複数形になっていたんですね。

 

 

そもそも僕は、一人で生きていくのが苦手です。

 

高校生の時から親元離れて寮生活をしていた事もありましたが、ご飯を食べるときは一緒に食べる誰かがいて、学校に行くときも、野球をするときも、遊びに行くときもいつも誰かと一緒でした。

 

振り返ると、僕の人生がこうして充実しているのもいつも誰かが一緒にいてくれるからなんだなと思います。

 

そして今も、一緒にいてくれる人がいる。

 

そんな一緒にいてくれる人に「ありがとう」と感謝の言葉を伝えながら、これからも生きていきたいなと思います。

 

 

 

 

溜まっていた小説を一気に読み終えたのでブックオフに行ってまた小説を5冊借りました。

 

5分の3は重松清さんの小説。タイトルになんか惹かれたんよなぁ、、、。

 

楽しみがまた増えました。

あのチームの形、なかなか理想的やったんやな

昨日、部活動の試合についての短めの記事を書きました。

 

そのことについて、引き続き考えていました。

 

昨日のが部活動じゃなくて、きっと地域の少年野球チームのような形であれば、色々楽しいんやろうなぁと。

 

 

僕は5歳の時から野球チームにはいって野球をしていました。

 

両親ではなく、祖父がぼくを勝手にグラウンドに連れ出していたそうです。

 

結局僕は野球にはまり、それをきっかけに大学まで野球を続けました。

 

コーチは地域の野球好きのおっちゃんたち。その方々とは今でも神戸に帰ったときにはお酒を一緒に飲ませていただいたりと親交があります。

 

 

僕の入部をきっかけに、父もチームのコーチになりました。

 

そこから父は毎週のように練習が終わったあとチームの指導者と飲みに出かけていました。

 

あの子のプレーがあぁやった、あの子はものすごく伸びた、もっとこうやって指導したい。

 

そうやって野球とか子どもの話をして盛り上がっていました。

 

 

母も、練習や試合を見にグラウンドに来ていました。

 

母は僕が野球をやる事に対して熱心に支援してくれていたとともに、母自身も僕の野球を見に来ていわゆるママ友と話をするのが楽しそうでした。

 

僕の姉の同級生も先輩として同じチームに所属していたのですが、その人のお母さんとは本当に息があったそうで、今でも2人で海外に旅行に行ったと写真が送られてくることがあります。

 

あ、今でもって言ってもさすがにコロナが流行してからは我慢してるみたいです。

 

 

小学校時代の自分の野球人生を振り返る事は度々あったのですが、こうして指導者になって、選手以外の目線で振り返る事はなかなかありませんでした。

 

あの活動の何が良かったかと言うと、まずは完全な趣味であるという事です。

 

公務分掌として勝手に充てられて、無給の労働として活動している部活動とはまた訳が違います。

 

たまたま僕は野球部に配属されましたが、それでも自分から臨んでやっている仕事ではない上にサービス残業であるこの現状には納得することはできていません。

 

しかし、地域のチームの指導者は、全員がやりたくてやっている。仕事としてではなく趣味で。

 

だからあれだけ熱の入った指導をすることもできると思うし、何より心から活動自体を楽しむことができているのだと思います。

 

 

また、職場以外でつながりができるというのも大きな財産だと思います。

 

職場の先生もとてもいい方ばかりなのですが、一緒に仕事をさせていただく立場として仕事仲間を超えてその方と"友達"になる事はなかなかハードルが高い事です。

 

プライベートで飲みに誘ったりという事もなかなか勇気がいります。

 

しかし、こうした同じ趣味を持った仲間との自主的な活動をする集団なら、そのハードルも低くなっているのではないでしょうか?

 

実際に父がそうですし、そうやって職場以外で仲間ができる事ってうらやましいなぁと思います。

 

 

その交流に広がりは指導者だけでなく、もちろん子どもも違う学校の人とつながる事ができますし、母のようにそのコミュニティ内の人と仲良くなってプライベートを共有できる人が見つかるかもしれない。

 

 

本心から熱中でき、地域とのつながりも広げることができる本当の意味で自主的・自発的な活動である地域のチームは、理想的な形だなと思いました。

 

 

色々落ち着いたら僕もあぁいった活動に参加してみようかな。

これが仕事じゃなかったらな。

今日は、僕が持っている部活動の試合がありました。

最終回に1点差まで追い詰めたのですが、惜しくも負けてしまいました。

いつも練習を頑張っている彼らが、試合で結果を出して嬉しそうな姿、ギリギリ勝てなかった悔しそうな姿。

そんな姿を見ていると、次は勝たせてあげたい、そんな思いに駆られます。

来年度は神戸に帰るので、残念ながら今日の試合が僕が見れる最後の公式戦になりましたが、彼らと一緒に野球ができたことが本当に楽しかったです。



これが仕事じゃなくて、それ以外でやっている自主的な活動なら、もっともっと心から楽しめるのにな。