困ったときには迷わずにSOSを

最近、自分が見ている活動のなかで、少し問題が起きています。
 
 
あまり落ち込むことがない僕ですが
 
久々に少し落ち込むぐらいの案件です。
 
 
どうやって対応しようか、、、。
 
 
色々考えて対応押しているのですが、やっぱり僕の力だけではなかなか解決できそうもない。
 
 
だから、違うクラスの先生や管理職、部活の副顧問の先生など色んな方に相談させていただきました。
 
 
その先生方は、僕よりもはるかに経験がありますので、
 
こうした方がいいよとか、
 
僕もやれることやってみるよとか
 
たくさんのご支援をいただくことができました。
 
 
もし僕一人で対応してしまっていたら、もしかしたらどこかでさらに躓いてしまっているかも。
 
 
自分が困ったときには、遠慮せずに誰かに助けを求める。
 
 
僕が授業中に彼らに求めていることを、今回は自分で実践することになりました。
 
 
ご協力いただいている先生方には本当に感謝しかないです。
 
 
今回のことが色々なことにおいていい方向に転がるよう、丁寧に対応していこう。

『学び合い』は型ではなく願い

教員採用試験が終わり、やっと筆記の勉強から逃れられたとちょっと一息。

 

 

勉強していた時間が空いて余裕ができたので、ここからまた本を読んだり数学の勉強を再開したりしようかなと思います。

 

 

その第一弾として、最近発売された『学び合い』についての書籍を読みました。

 

 

 

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僕が所属してた上越教育大学の西川研究室のゼミ生と先生が書かれた本です。

 

 

僕も勤務校で『学び合い』を実践しているのですが、その実践を見つめなおすためにもこういった本に触れることの必要性を感じ、購読しました。

 

 

 

色んな先生方のインタビューもこの本には書かれているのですが、

 

『学び合い』は型ではなく願いだという事がたくさん書かれてありました。

 

 

まさに僕もそうだと思ってて、結局大事なのは彼らが将来幸せに生きていくために学校教育で何を施していくかということだと思うんです。

 

 

つまり、一斉授業だとか、バズ学習だとか、『学び合い』で全員達成を目指す事だとか、そういった授業の形にこだわる事でもなく

 

その授業を行った結果彼らの学力が上がったかどうかとかでもなく

 

授業を通して彼らが将来を幸せに生きていくための何かを手に入れられているかどうかという事なんだと思います。

 

 

もちろん、そのために学力が必要な人もいるし、評価や検定が必要な人もいます。

 

 

それらについては子どもによって違うと思うのですが

 

将来会社で人間関係を適切に築いていくかであるとか

 

大人になったときに一緒に飲みに行ける仲間がいるかどうかとか

 

その辺りは全員が共通して必要な事だと思うんですよね。

 

 

それを授業の中で与えるためには何をすべきなのか

 

という事を考えた授業であればそれはもう『学び合い』ですし

 

もちろん学級経営や部活経営、個人との関わりの中でも彼らの将来の幸せに向かって行う教育活動は全て『学び合い』だと思います。

 

 

その結果、僕自身は授業でほぼセオリー通りの『学び合い』をしています。

 

 

授業の最初にちょっとだけ講義をしてみたり、子どもに教えてと言われれば教たりしているので、”ほぼ”なんですが。

 

 

それは僕なりに今の学校に適応させた『学び合い』の形です。

 

 

どんな形でやろうが、大切なのはその実践に願いが込められているか。

 

 

それを再認識することができました。

ちょっと無能な先生ぐらいがちょうどいいのかも

これから社会に出ていく生徒は、主体的に行動できなければなりません。
 
 
具体的に言えば、上司に言われたことだけしていたらいい時代は終わったし
 
一生懸命やったけど結果が出ませんでした、ではもう生きていけません。
 
 
結果を出すためにはどうすればいいのか、自分で考え、行動していかなければいけません。
 
 
それが、観点2の「思考力・判断力・表現力」であり、観点3の「主体的に学習に取り組む力」だと思います。
 
 
 
学級経営においても一緒で、担任がなんでもかんでも指示したり、進路においても情報を提供しすぎたりすると
 
言われたことをしてればいいとか
 
情報は勝手に来てくれるとか
 
そういった勘違いをする生徒が生まれるかもしれません。
 
 
 
僕は保護者懇談の時に、ほぼ全員の生徒と保護者に
 
「情報は自分で取りに行かないと情報の波に埋もれてしまうから、気になるワードをGoogleで検索してみるだけでもいいからなんせまずは自分から動いてみてください。」
 
「先生は助けを求められたら動くことはできるけど、生徒がたくさんいる中でみんなが困ってることに気付くことは難しいです。困ったことがあったら自分から先生に助けを求めて下さい。」
 
といったような話をしました。
 
 
なんせ、自分達で考えて動ける人間になって欲しい。
 
 
だから、できるだけ多くの活動に対して僕は手を出さないようにしています。
 
 
 
って考えると「生徒のために、、、!」っていう一生懸命で丁寧な担任よりも、ちょっと無能な担任ぐらいの方が
 
「私たちがしっかりしないと!」
 
と、主体的な生徒が育つのかも、とか思ってみたり。

僕は1分1秒でも残業したくない派の教員です。

各地で教員採用試験の倍率が発表されています。

 

 

どの自治体も倍率は今年も降下傾向のようで、僕が所属する神戸市の小学校の倍率もまた下がりました。

 

 

全国の倍率を見ていくと、中にはもう1倍を切る寸前の自治体も多くありました。

 

 

まだ1倍を切ってないからいいよね、ではなくて

 

教員採用試験はいろんな自治体を併願する方もたくさんいらっしゃるので

 

多くの合格を出したところでこういった自治体は来年度も教員が不足することが目に見えています。

 

 

教育委員会のとりあえずの策として、中学校数学で受かっているにもかかわらず小学校に配属になってしまうといったケースが僕の友人でありました。

 

 

まぁそれをしたところで教員が足りなくなるのは目に見えているでしょう。

 

 

 

この教員不足の最大の原因は、やはり忙しすぎ問題でしょう。

 

 

まぁそれ以外にも、保護者対応の辛さとか、一般の会社でもあるような職員室内で人間関係を築けずに辞めていく方とかもいらっしゃるんだとは思いますが

 

一番はやはり働き方でしょう。

 

 

教員の平均残業時間もなかなか減らず、各自治体が試行錯誤している所だと思います。

 

 

 

さてさて、僕が今回言いたいのは、「教員の仕事って多いよね」という事ではなくて、

 

多くの先生方にとって「残業することが当たり前」になってしまっているという事です。

 

 

「平均残業時間が減らない」とさっきほど書きましたが、もちろんなかなか部活動がなくならなかったり保護者対応が遅くまで続いてしまったりといった現状もあるとは思うのですが

 

どうやら早く帰れる日も帰らない先生方も多いようで。

 

 

僕は社会人になって2年目で、まだ「先生の働き方」というのが体に染み込んでいないのか

 

早く帰れる日に1分1秒でも残業すると「うわぁ、時間過ぎてしまったなぁ」という感情が湧いてきます。

 

なんなら、16時55分00秒になった瞬間タイムカードを切りたいです。

 

 

しかし、その時間に帰る先生と言うのは1日に5人いたら多い方で、ほとんどの人が時間外まで働いています。

 

 

実際に、時間内に仕事を終わらせていないだけなのか、時間内に終わる量の仕事ではないのか、その辺りを実際に先生方に聞きまわっているわけではないのですが。

 

 

とはいえ、仕事が多すぎるとか部活があるとかは仕方ないですが、早く帰れる日は僕は早く帰るべきだと思います。

 

 

それこそ、教員の平均残業時間という目に見える実績をどんどん良くしていけば

 

「あ、先生の働き方も変わっていってるんやな」

 

と教員を目指す人も少しは増えるかもしれません。

 

 

 

根本的に仕事を減らすのは僕ら平の教員にはなかなかすることができませんが

 

早く帰れる日は早く帰る、何なら1時間でも有給を使って早く帰るといった

 

誰でもできるような改革は、教員全員がするべきではないでしょうか?

教師は子どもに対してなんら影響を与えられない。

教員は子どもに対して大した影響力は持っていない。

 

そんなことを頭の片隅に置きながら教育をしています。

 

 

いや、そんなことは無いんですよ?

 

 

教師がどんな学級経営をするかによってどんなクラスになるのかは変わってきます。

 

 

軍隊みたいなクラスを作る事も可能ですし、放任してなんでもありのクラスにするのも可能です。

 

 

僕が今回言いたいのは、子ども"たち"にとっても影響力はあるけど、一人の"子ども"に対しては影響力はほとんどないですよ、という話です。

 

 

 

というのも、ジュディス・リッチ・ハリスさんの『子育ての大誤解』という書籍を読んだことがあって、

 

そこには教師だけでなく自分の親ですら子どもに対しては大した影響力はないという事が書かれてありました。

 

 

一卵性の双子は同じ親によって育てられることが多いですが、その二人は同じ親によって育てられるにも関わらず全く違う性格になる事もあります。

 

 

将来の夢も違ってくることも多いと思いますし、仲のいい友達も違ってきます。

 

 

親がそれほど子どもに影響を与えられないのに、教員なんて無理に決まっています。

 

 

 

じゃあ、二人は何から影響を受けて成長をしているのかと言うと、所属する集団からだそうです。

 

 

学校で言えば、クラスも1つの集団ですし、部活も1つの集団ですし、仲のいい友達グループってのも1つの集団です。

 

 

彼らはその集団一つ一つから影響を受けて自我を形成しています。

 

 

学校の中で、ちょっと悪い集団とかいるじゃないですか。

 

 

彼らもきっと、元々全員がやんちゃしていたわけではなくて、その集団に入ってからやんちゃをするようになった奴もいるはずです。

 

 

そもそも集団と言うのも、気の合う友達が集まって集団になるのではなくて、集団ができてから一人一人がその集団をつくるにあたって一人一人がその集団に寄っていっているだけなのかも、、、

 

 

 

ということを踏まえて、僕は生徒一人一人を指導するのではなくて、生徒集団をどんな集団にしたいかという所を見て教育をしています。

 

 

馬を水飲み場に連れていくことはできますが、馬に水を飲ませることはできません。

 

 

『学び合い』でいう"一人も見捨てない"とかも、あくまで集団を作りを目指した言葉の一つですね。

 

 

 

もしご興味があれば、『子育ての大誤解』読んでみてください。

 

新版は、上下巻があります。

 

おススメです。

ルール違反によるデメリットを丁寧に語らないと

6月後半、生徒は完全に学校に慣れだしてルール違反を頻繁に起こすようになります。
 
 
授業中のケータイの使用、置いてはいけないところへの置き勉、ペットボトルが教室のゴミ箱に捨てているなど。
 
 
ちっちゃいルール違反が積み重なっていますが
 
これらを1つ許してしまうと、そこから先は色んなものが崩壊してしまう気がします。
 
 
最初は小さな水漏れだっただったものがどんどん広がっていって、最終的にはダムが決壊してしまう、みたいな。
 
 
ルールって、理由があって定められてるものだと思うんですよね。
 
 
学校でいうと盗難防止とか、企業の方に見られたときにいいイメージがつくようにとか。
 
 
裏側は、教師が管理しやすいといった都合もあると思いますが。
 
 
まぁ今回はそこは置いておいて。
 
 
 

 
守ってもらうためには、ルールを破ることが彼らにとって損だということを繰り返し語る必要があると思います。
 
 
ってか、シンプルにルールは守りながら生活する方が楽だと思うんですよね。
 
 
ルールを破るということは見つかったときに怒られるというデメリットがあるし
 
学校によっては親を呼んで指導されたりするところもありすし
 
当然先生からのイメージも悪くなる。
 
 
そうなると、成績にも響いてきますよね。
 
 
「主体的に学習に取り組む態度」なんて、正直教師の好き嫌いが入る所ですし。
 
 
そんなデメリットを受け入れてまでルールを破る意味が僕は分かりません。
 
 
 
社会に出たとて、会社にもそれぞれルールやしきたりがあって
 
それを守らなければ上司の評価も下がるし、「やばいやつ」というレッテルを貼られてどんどんその会社に居づらくなる可能性だってある。
 
 
それやったら、そのルールの中でできることをやっていた方が絶対に楽です。
 
 
そのルールが自分にとって気に食わないのなら、自分がルールを決める側になるか、その社会から抜けるかのいずれかを選択する必要があります。
 
 
 
ただただ「ルールは守れ!」といってもきっと彼らは納得してくれなくて
 
ルールを守ることのメリット、破ることのデメリットを
 
彼らに繰り返し語ることによって、守ることの意味を理解してもらえればなと思っています。

ネットに公開しているブログは誰がみているかわからない

こうやってブログを書いて、いろんなとこに共有していると
 
意外な人がブログを見てくださっていたりします。
 
 
例えば、最近で言えば職場の先生から
 
「◯◯先生が、先生のブログを参考にさせてもらってますって言うてましたよ!」
 
と言っていただきました。
 
 
◯◯先生とは、僕が中学生の時に同じ学年にいた先生のことです。
 
 
そんな人も自分のブログを見ていてくれてるんだなと
 
少し嬉しくなりました。
 
 
僕がブログを書いている理由としては
 
自分自身を成長させるためであったり
 
僕の考え方をいろんな所に広めたいという意図があったりするのですが、
 
やはり誰かに見てもらっているというのを実際に聞くのは嬉しいなと思います。
 
 
逆に言えば、僕が全く知らない方にも見てもらえている可能性があるので
 
投稿する際には緊張感を持つ必要があると感じています。
 
 
誰かの悪口とか、そういった投稿は僕の知らないところからすぐに広がってしまいます。
 
 
「情報モラル」という言葉も流行っていますが
 
誰に見られても問題がない投稿、という所を心がけて書いていけたらなとおもっています。