そうか、学習指導要領があるじゃないか

子どもたちに「先生ってなんのゲームするの?」と言われたので「今はあんまりゲームはせんけど、ちっちゃいころはよくPSPでモンハンとかパワプロとかしてたよ」って言うと「PSP???」といった反応をされました。

 

ジェネレーションギャップにショックを受けました。

 

 

 

さて、体育では新しい単元に入っています。陸上の単元です。

 

体育は、できる子とできない子の差が激しい教科です。だからこそ、子どもたちにどんどん交流させ、人に分からないことを聞く力であったり、困ってそうな人を見つけて助けたり、先日の記事でも書いた空気を読む力をつけるためには絶好の機会であると思っています。

 

でもやっぱり、まずは『学び合い』ではなく、しっかりとした従来型の授業ができるようになっていることが自分として望ましいと思いますし、従来型の授業をとりあえずしておくことで、「教えたよ!」という保険にもなると思っています。

 

その時間の分の教材研究を少ししたりするのですが、「どこまで、どうやって教えればいいんだろうか・・・」そんな思考がよぎります。

 

教育指導員さんが体育の先生なのでよく相談させていただくのですが、その先生がよく言う言葉が

 

「学習指導要領では○○と書いてあると思うんだけど」

 

という言葉です。その言葉を聞くたびに思い出します。そうか、教科書や補助教材ではなく、学習指導要領に則って授業をすればいいんだと。(解説ではありません。)

 

現場に出ていざ授業をするとなると忘れがちな学習指導要領の存在。随時確認しながら授業をしないと。

礼儀は「やるものだから」ではなく、「やった方が得」

人が何か行動を起こすには、何かしら「腑に落ちる」という作業が必要だと思っています。

 

年上には敬語を使う、朝ご飯はちゃんと食べる、ボランティアに行く、募金をする、学校に行く、毎日ブログを更新するなどなど。

 

「それはやるものだ」とか「言われたからやる」というパターンも多いと思いますが、それではよくありませんよね。行動にはすべて意味があると思っています。

 

例えば敬語について。

敬語は「敬う言葉(語)」と書くように、使っているだけでとりあえずは相手を敬っている事になる魔法の言葉だと思っています。逆に言えば、使わないと相手は自分の事を下に見ている、またはなめていると感じてしまいます。

 

「年上には敬語を使うもの」と教えたりしますが、なんで敬語をつかうのか、の"なんで"の部分を欠落させてしまう教えてしまう事によって、子どもの「腑に落ちる」作業を飛ばしてしまっているのだと思います。

 

 

そして、この「なんで」の部分を子どもが納得するかどうかは別として、だいたいの事の「なんで」の部分は自分が"得"するような理由になっていると思います。特に礼儀という事に関しては。

 

敬語はさっき言った通りですし、挨拶という事に関しても、コミュニケーションの第一歩だと思います。

nbnl-takashi.hatenablog.com

 

学校の中で一人、座り方があまりよくなかったり、ご飯の食べ方があまりよくない子がいます。先生がその子に「ちゃんとすわりなよ?」とチクっと注意すると、逆にその子は「普通じゃないですか~?」なんてプチ犯行をするわけですね。

 

きっとその子にとっては、先生が注意した事が逆に「先生の注目を独り占めできた」という認識になっているのでしょう。というのは、アドラーの目的論に引っ張られすぎですか?

 

まぁその話は置いておいて、、、

 

今日、その子に「ちゃんと座った方が周りからかっこよく見られるし、逆に座り方悪いと、行儀の悪い子って思われる可能性あるし、ちゃんと座った方が得じゃない?」という話をすると「なるほどね!」と姿勢を直してくれました。

 

 

私もやってしまいがちですが、「これはやるものだから」という事で教育するんじゃなくて、「○○だからこれはやった方が得なんだよ」というような教育の仕方ができればなと思います。

 

ためらいや遠慮というものは非常に愚かなもの

今日は職員会議がありました。職員会議の雰囲気にも慣れ、段々と発言もできるようになってきました。

 

会議の中で、「これはこうした方がいいんじゃないか?」とか、「これは無くてもいいんじゃないか?」という事も段々と分かるようになってきました。

 

今日の議題の中で引っかかった事の一つに、進路指導説明会の話がありました。

 

勤務校の進路指導説明会では、地域の高校の方に来ていただいて、20分ほどずつ話をしていただき、在校生や保護者が話を聞くという形になっています。

 

そこに参加する生徒というのが、2年生と3年生なんです。

 

「ん?じゃあ1年生はどうするんだ?」

 

1年生は関係ないし、1年生から受けていたら2、3年生でまた同じことをすることになってしまうとも思われるかもしれません。でも、1年生も参加して、3年生が説明を聞いている姿をみて、自分たちがこれからどのような姿で進路に向かっていくのかというイメージを掴んで、自分の進路について考える機会にするには絶好の会なんじゃないか?そう考えました。

 

が、なかなかそういった発言をすることができませんでした。何ビビってんねん・・・。

 

職員会議が終わってから職員室でそういった話を持ち出しても一緒。ためらいとか遠慮というものは非常に愚かなものなんだなという事をみを持って学びました。

 

でも今回は、このことを学べたことが自分にとって非常に大きな収穫。次は絶対同じことをしないぞ!

子どもの方がきっと有効にタブレットを使いこなせる

最近の子どもたちの遊び方を聞いていると、休日は任天堂switchを使って友人とオンラインで遊んだり、YouTubeを見て時間をつぶしたりしているそうです。「今時やなぁ」と思います。

 

コロナ禍で気軽に友人と対面で遊べない中、こうしてオンライン上とはいえ気軽にコミュニケーションを取ることができるようになったというのは、いい時代になったなぁと思います。

 

しかし、こうしたネット社会をあまりよく思っていない方も多いようです。

 

「子どもがYouTubeばっかり見て勉強をしない」

「ネットゲームで課金をしすぎないか心配」

「そもそも子どもは外で遊ばないと健康を害する」

 

こういった意見が出るのもわかります。現に、上記の3つのことは、結構日常的に起こっているそうです。

 

しかし、子どもが使うネット環境は最低限のフィルタリングを大人がするべきだと思うし、課金なんて子どもの携帯の決算サービスを管理するとか、そもそも子どもの携帯にクレジットカードの情報を登録しないなどすれば、その危険性は限りなく低くなるはずです。

 

それでも、心配になってしまう。その心配の原因の一つとして、「大人が知らなすぎる」という事があるのではないでしょうか?

 

GIGAスクール構想で、僕の勤務校でも1人1台のタブレット端末が配られました。情報担当の先生が子供にタブレットの設定方法とか使い方を説明しているのですが、子どもはその説明をすっと受け入れています。逆に苦戦しているのは大人の方。きっと子供の方がICTに関してはずっと詳しいんだと思います。

 

だからこそ、逆にその子どもの能力を有効に活用する方が生産的だと僕は思います。最低限のフィルタリングとかはどうしても勉強する必要はありますが、それ以外は子どもの方が有効な使い方を知っていると思います。

 

それをするには、どうしても大人が子供を「管理する」という呪縛から抜け出す必要があります。最低限の安全の保障だけして、あとは子どもに任せてみませんか?きっと彼らは僕らなんかよりずっと有効にタブレットを使いこなすはず。

「先生、明日の練習来ないんですか?」

今日も部活動に行ってきました。地域の小さな交流戦ですが。1日2試合。人数が少ないが故に保護者の方にも審判やボールボーイをしていただきました。いろんな事に協力的にやっていただける事に感謝です。

 

さて、明日は部活動がありません。が、保護者会練習という名前で、子どもたちは練習があります。部活動という形での活動ではないため、僕は練習に参加しません。

 

「怪我した時は自分の責任になるのだろうか・・・」とも思っていましたが、どうやら保護者会で保険に入っていただいているそうで。その辺りも前の顧問の先生が徹底していたのですね。ありがたいです。

 

今日帰るときに生徒が一言

 

「先生、明日の練習来ないんですか?」

 

「勘弁してくれ、休ましてくれよ~」と答えました。全然行ってもいいんですが、きっと1回行ってしまうと今後もいかないといけなくなる。

 

今は全然余裕があるからいいんですが、余裕がなくなってくると段々その時に安易に了承したことが効いてくる。どこまで参加するかは自分の中ではっきりと線引きしておく必要があるともいます。

 

また、僕が頑張りすぎてしまうと、次に顧問になる先生がきっと苦労する。たまたま僕は野球をやったことがある人で、いろんなアドバイスもできるし練習等の要領もすぐにつかめるのですが、次に顧問になる人がそうとは限らない。

 

「前の先生はあれだけやってくれたのにな・・・」

 

そう思われないような運営をする必要があります。

 

それでも野球が好きな僕は、意識しているとはいえ「明日来ないんですか?」と言われている時点で手を貸しすぎてしまっているのかもしれませんが。

 

自分が「楽しい」と思えるラインだけは保っておこうと思います。

人間社会で大切な「空気を読む」能力を身につけるために

最近、よく特別支援教室に通っている子どものことを考えてしまいます。特別支援教室に通っているというか、その子を含め通常学級にいるちょっと変わった発言や動きをするような子ども、いわゆる「気になる子」の存在についてです。

 

1年生は中学校という場所に所属して約1ヶ月が経ちます。まぁ教員1年目という事もありますので、そういった意味では僕も1年生ですね。

 

彼らも僕も、そろそろ中学校に対して「慣れ」が出てきました。いい意味でも、悪い意味でも。

 

でもやっぱり人間、マイナスな面の方が目についてしまう。それは人間の悪い性ですね。

 

目立ちたいから人とちょっと違う事をしてマイナスな注目を得ようとする生徒、どうしてもすべての行動に1歩遅れてしまう生徒、上級生に対して敬語も使わずに接することで相手の機嫌を損ねてしまう生徒、本当に様々な生徒がいます。

 

しかし、そんな彼らも中学校、高校を卒業すれば社会に旅立ち、叱ってくれる先生や「あいつはああいう奴やからな」と空気をうまく折り合いをつけてくれる仲間はいません。大学に進学したとしても、高校までとは違って大学は平気で単位を落としてきたりもします。そんな所で生き残っていかないといけない訳です。

 

そんな所でどうやって生き残っていくのか。

 

やはり大事なのはコミュニケーション能力だと思います。一口にコミュニケーションと言ってもたくさんありますが、僕が特に大事だと思うのは、「空気を読む」能力。ある教育では「折り合いをつける」と表現したりしますが、それと似たようなものかなと思います。

 

今のところ、この「空気を読む能力」というのがしっくり来てるのでこの表現を使いますね。

 

先ほど「○○な生徒、○○な生徒・・・」といくつか例をあげた生徒もやはりこの「空気を読む」という所がまだまだできていないのだと思います。ゆえに、なぜ今先生に怒られているのか、なぜ先輩は機嫌を損ねたのかもきっとわかっていないんじゃないかなと感じます。

 

分かっていなければできないのは当然です。だから、彼らには教えないといけない。いや、教えるのではなく、学んでもらう必要がある。

 

ではどうやって学ぶのか。それは、集団の中でその「空気」を感じる能力を自分で身に着けるしかないと思います。集団の中で成功や失敗を繰り返す中で、これはしていい、これはしない方がいい、これはした方がいい等を肌感で覚えるしかないと思います。

 

空気を読む意味が分かっていない子どもに対して「空気を読め!!」と言っても、彼らには「〇×※☆△!!」と、何を言っているのかさっぱり分からないまま怒られているという事にもなりかねませんからね。海外の方に外国語で怒られているような感覚とでも言いましょうか。「怒ってるのはわかるけど、なんでこの人起こってるんやろ・・・」となりますよね。

 

特別支援、気になる子、そんな子どもを別の教室で指導したり、授業をしたりするよりも、もっと大事な事があるはずです。社会に出るまでに、集団の中でこの「空気を読む」能力を身に着けないと、将来その子は苦しむことになってしまうと思います。

 

だからこそ、できるだけ多くの時間を子どもたちに任せ、成功はもちろんのこと、失敗、改善を多く経験してもらって、少しずつ「空気を読む能力」を身に着けてもらえればなと思いました。

気合を入れすぎない、頑張りすぎない

今日もしっかり目に部活をしてきました。

 

子どものバッティングピッチャーです。軽く200球は投げました。子どもは1日100球という球数制限があるのですが、バッティングピッチャーとはいえ今日の僕は完全に球数制限を超えていました。

 

とはいっても、別にこれはいいんです。ボール投げるの楽しいし、野球は好きやし。

 

こうして部活が趣味ぐらいの感覚でできるとあんまり苦に感じないんだなぁと思いました。

 

そうするためにも大切なことは、頑張りすぎない、気合を入れすぎない事。

 

頑張れば頑張るほど教育課程内の活動より部活の方がウエイトが重くなってしまいますし、生徒や保護者からの期待も高まってしまいます。

 

期待されることは悪いことではないと思うんですが、期待されするともっともっと頑張らないと、と自分を苦しめる事にもなりかねません。せっかく自分の専門である野球を持たせていただいているのに、楽しくなくなってしまいます。

 

それが一番最悪。

 

もちろん、教育的な事も彼らには語ったりしますが、ベースは頑張りすぎない、気合を入れすぎない。心に余裕をもって楽しめる程度に、部活動に取り組みたいと思います。