クラスの生徒がクラスに慣れ始め、いろんなことが適当になってきたなぁと感じています。
そんなことと重なり、授業でのトラブル、前のクラスの生徒のトラブルなど、トラブル続きのここ数日。
いやぁ、本当に1日1日が長かったなぁ。
明日からは連休。ヴィッセル神戸の試合も見に行けるし、今週末はゆっくり休もうかな。
今日は、クラスの生徒の保護者と話をしました。
指導関係の話だったのですが、そのついでに進路の話も。学校で話をしたときは「就職希望です」と話をしていたのですが、その話を保護者にすると「えぇ、そうだったんですか!」と、指導そっちのけで進路の話に。
大学にいった方がいいんじゃないかとか、高卒で就職ってどうなのかとか、そんなことをたくさん聞かれたのですが、「まずはお子さんと話をされてから、、、」と話をしました。
というのも、いろんなことを聞かれた上で、僕の本音をいうと「分からない」でした。
教員採用試験しか受けてない僕は就活をしたことがないし、教員は大卒が普通なので高卒での就職なんて想像もつきません。
それでも僕は彼らに進路の話をしていかないといけない。
そのために僕はもっともっといろんな情報を集めないといけないし、いろんな先生と話をしないといけない。
きっと自分一人ではなんともならないことが多いので、困ったらいろんな人に頼りながら彼らの進路の手助けをしていこうと思います。
今日は顧問会があり、総体の組み合わせが決まりました。
1回戦の相手はよく練習試合もさせていただく学校で、公式戦で当たったときは1ポイントの差で勝ったり負けたりするような、いわばライバルのような相手。
彼女らには副顧問の先生を通じて間接的に相手を伝えたので彼女らがどのように思ったのかは分かりませんが、相手を正しく恐れる必要があります。
相手を恐れすぎて自分達の力が出せないのもよくないし、かといって相手を恐れなすぎても油断が生まれてしまう。
相手が誰であろうと、冷静に相手を見極めて有利に戦いを進められる方が勝てるのがスポーツ。
相手が決まってここからまた練習に熱が入るはず。総体まであと1週間ちょっと。彼女らに後悔がないように見守ります。
松坂大輔さんという、僕が一番最初に憧れたプロ野球の投手がいます。
最近のプロ野球では、分業制というのが普通になっていて、だいたいピッチャーの球数が100球を越えると故障を防いだりする意味もあって交代することが多いです。
しかし、松坂大輔さんは1試合で球数が150を越えることも少なくありませんでした。
なぜここまでの球数を投げられるかという話があったのですが、松坂さんは「抜きどころを知っている」と言っていました。
150球全てを全力で投げているわけではなくて、打者の力量とか試合の流れとかを見ながら力の入れ具合を変えているそうです。
それだけ投げられるスタミナがあるということももちろんあると思いますが、その要領のよさが松坂さんの肩を支えていたようです。
これは野球のピッチャーだけに当てはまる話ではないと思っていて、仕事をしたり、学校生活を過ごす上でも大切な考え方だと思っています。
教員としては、子どもの前に立つときはいつでも全力でいたいというのが本音ですが、保護者対応とか生徒対応、授業がうまく行かなかったときなどいろんな意味で疲れることが多い職業なので、なかなかずっと全力でというのも難しい。
大事なのは、押さえるところは押さえるということ。
誰かを攻撃する発言には敏感に反応しないといけないし、クラスの雰囲気がふわっとなってしまっているときは渇をいれたりもしないといけない。
その押さえるところというのは人によっては違うとは思いますが、逆に「力を入れなくていいところ」を知っておくのも教員として生き残っていくためには必要かなと思います。
松坂さんはきっと、「力の入れどころ」ではなくて「力の抜きどころ」が大事だと言っていました。
全力投球すべき時に全力で投げるためにも、力を抜けるところは抜きながら働いていきたいなと思います。
「学ぶ」とは昔は「まねぶ」と言われ、これは「真似る」という言葉と同義で、学ぶことは誰かの真似をすることだ、ということはどこかで聞いたことがあるんじゃないかと思います。
僕もちっちゃい頃から野球をしていて、プロ野球選手のバッティングのフォームの本を買って、それを見ながら練習したりもしていました。
教員として今4年目ですが、今年は今までよりも誰かから学ぶことを意識しています。
今までも、誰かから学ぶことはしてきていたのですが、大学院で学んだことを活かしたいとか、自分はこういう教育がしたいとか、自分なりの形で教育をしていこうという思いがありました。
しかし、それでなかなかうまくいかないことも少なくありませんでした。
武道の言葉で「守破離」というのもありますが、まずは誰かのやり方を真似て、そこから自分の形を作っていくことが大切。
まだまだぺーぺーの僕は、もう一度この「守」を大切にして教育に取り組んでいきたいなと思います。
それでもきっと『学び合い』の考え方とかは抜けないと思うので、
というかこのぐらいの方が僕に染み付いている『学び合い』という考え方を現場に馴染ませられるんじゃないかと。
特に今年ははじめての3学年担任。
進路のこととか、いろんな人を真似させていただいて自分の教育を見つけていこう。
指導が厳しいとか甘いとか、今日はそんな話になります。
指導が甘い、ということに関しては、言うことを言っていない可能性があるのかなと思っています。特に学校のルールに関するところですかね。化粧だとかスカートの長さだとかそんなところ。
言いすぎると生徒もいっぱいいっぱいになっちゃうし、信頼関係を結ぶのも難しくなってしまうしというところもあるかもしれませんが、やっぱり言うべきところは言わないといけません。
逆に、指導が厳しいということについて。ルールに関してちゃんと言うことはめちゃくちゃ大事やし、言うことが正解であることは間違いないのですが
厳しい指導というのは生徒には受け入れられづらいし、今なんかでいうと保護者からも受け入れられづらくなってしまっている。
言うことが正解であるはずが、厳しくあればあるほど受け入れられづらくなってしまうというジレンマは指導の難しいところですよね。
指導する際に大事になってくるのが言い方。
そこまで生徒に気を遣う必要があるのか、と言う方もいらっしゃいますが、「正そう」と思ってもらわないといけないわけですし、その指導が継続的なものにならないと意味がない。
高圧的な言い方では彼らは反発して逆効果になってしまう。
彼らに行動を正してもらえるよう、少しずつ、彼らに敬意を払いながら言葉を書けていきたいです。
印刷室でプリントを刷りながら、「朝学の時間って大切だよね」という話になりました。
うちの学校では毎朝10分朝学習の時間があります。検定に向けての勉強や一般教養のプリントを生徒にさせます。
毎日コツコツ取り組むことで、彼らの力になることは間違いなくて
ただ、今回は彼らに身に付く力ではなく、別の部分にフォーカスした話をしました。
その時間に取り組む内容って、人によってはめんどくさいと感じる内容ももちろんあると思うし、わりとサボりやすい時間なんですよね。時間は10分弱と決められていて、早く終わらしてあとの時間は寝てしまうとか。
ただ、この時間を有効につかって残った時間で自分の勉強をしたり、他のじゅぎょうのれぽーとに取り組んだりできる生徒はだいたいできる生徒で
勉強ができるというよりは、要領がよかったり押さえるところは押さえられたりと、生きる力がある生徒なんだろうなと。
また、クラスとしてもちゃんと取り組めてるうちはこの時間は落ち着いて過ごせているのですが、そうじゃないときはこの時間がどこかふわふわしてしまう。
生徒の見取りとか学級経営的な観点で、この朝学の時間って大切だなぁと、印刷室での話で感じることができました。
他にも、提出物がちゃんと出るかとか、遅刻欠席が少ないとか、お昼ごはんを教室で過ごすかとか。
みなさんは学校の中で、見取りや学級経営のポイントにしている所ってありますか?、