国語の『学び合い』を見て

今お世話になっている連携校では、数学の先生が元々『学び合い』の実践をやってはります。

 

僕は、去年の連携では保健体育で入ったのですが、大学院で数学の免許を取得予定なのでどうせならと数学の授業の『学び合い』のサポートと言う形で連携に入らせていただいています。

 

とはいったものの、現在は2年生の保健の授業を持たせていただいていて、数学の授業はどうやら10月から連携に来れるようになった院生が持つらしい。

 

だから、結局だんだんと保健体育の方にシフトしていくのかなーと考えています。

 

 

 

今日は1限で、同じゼミ生の国語の授業を見ました。

 

3年生の国語の授業は見たことあったのですが、2年生の国語の『学び合い』の授業を見るのは今回が初めてです。

 

2年生は、僕も保健で授業をしている学年なんですが、教科が違うからか、授業をする先生が違うからか、いろんな要因があると思いますが生徒の活動の様子が結構違いました。

 

 

 

保健でやる時は結構初めから動いたり(といっても穴埋めが多いので大きくは動きませんが)、結構いろんな生徒が交流し合ったりするんですが、国語の授業はみんな最初は自分で教科書を見て活動をしていました。

 

そこから動くことも少なかったですが、会話の内容がまた面白い。

 

誌の授業だったのですが、詩って答えは1つじゃないですよね??

 

読み手によってたくさんの解釈ができるので、人の数だけ答えがあると思っています。

 

そんな中、内容について会話している所の話に耳を傾けると、もう内容が深い深い、、、。

 

それって答えが1つではない国語特有のものなんじゃないかと思いました。

 

 

 

数学であれば、答えは決まっている(それまでの道のりは複数ある)ので、深まるといっても国語ほどの深まりはないんじゃないかなとは思いました。

 

答えがあるから『学び合い』を始めるには数学からやるといいよって西川先生の本にも書いてありますが、確かにやりやすさで言ったら数学はやりやすい科目ではあると思います。

 

 

 

だから、数学は初心者向け、国語は上級者向けって感じなんですかね?

 

 

 

難しいからこそクラスの『学び合い』が成熟していった姿がどんどん良くなっていく。

 

 

 

今日の国語の『学び合い』ではそんなことを感じました。

 

 

 

やっぱり、いろんな教科、いろんな先生の授業を見に行くべきですね。