今日は、数学の『学び合い』を見てきました。
もちろん、数学が得意な生徒もいれば、苦手な生徒もいる。
中には、「えっ、それもわからないの?!」と思ってしまう生徒もいます。
失礼な話ですが、、、
数学の『学び合い』をされていた先生も語りの部分でおっしゃっていたのですが、数学を解く上で解き方とかも必ず必要になるんですが、それ以上に大切なのが”数学的な感覚”だと思います。
それを獲得する前に授業が進んでしまうと、そこでその子どもは取り残されてしまいます。
その感覚について、ゼミ室の友人が「俺はその気持ち分かるなぁ~」と言っていました。
その友人は「あいうえお」の概念について獲得するのが最初はハードルだったみたいです。
そもそもなんで”あ”とかくことで「あ」と発音しないといけないのか。
まぁ、そういうもんだから仕方がないのですが、それをそういうもんだと割り切ることができてやっと「あ」と読むことが出来たそうです。
”あ”のはなしだけじゃなくて、数学によく出てくるx(エックス)という文字について、「なんでxなの?」とか「xと置くとは結局どういうことなの?」とかそういう風に考えてしまって戸惑ったことがあるそうです。
でも、それが当たり前になってしまっている自分からしたら、その分からない感覚がすでに分からないので、教えようがないんです。
アンダーソンによると、人間は技能学習において習熟度が高まれば高まるほどその技能を言語化する能力がなくなってしまうという事が明らかになっています。
だからこそ『学び合い』で習熟度が近い友人、つまり分からないことが分かる友人に教えてもらった方が分かりやすいんですね。
『学び合い』での実践や授業見学、また学校支援プロジェクトでは本当に毎日が学びの場であると言えますね。
こんな恵まれた環境に感謝しなければ。