車いすテニスのレジェンド国枝慎吾さんが、NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演した時にこんなことを仰っていました。
「パラリンピックを無理やり盛り上げようとする流れが気持ち悪い。面白いものは何もしなくても勝手に盛り上がる。」
僕はその言葉に非常に共感しました。
僕がこの言葉を思い出したのは、Twitterで「パラリンピックで子どもの観戦検討 学校連携プログラムで政府ら」という記事に対して、「教師に頼りすぎ」と反応している方を見かけたからです。
このことって結構いろんな事に共通することで。
例えば部活動。「部活動を盛り上げるために」「部活動を衰退させないために」という言葉をいまだに聞きます。確かに最近、野球などの集団スポーツは子どもの数が足りず、1つの学校では成り立たないという所も少なくありません。
原因としては少子化という事もありますが、学校の外のクラブチームに取られたり、そもそも野球以外のスポーツに行く子どもが多くなってきたことも原因として挙げられます。
ただ、「クラブチームに部員を取られないために」というのは完全に指導者側のエゴです。学校の外に取られているという事は、子どもたちのニーズが外にあるという事に他なりません。
決して学校の中学野球が変わったわけではないし、野球というスポーツの本質が変わったわけでもない。時代とか地域性とか、そういったことが変化しているから人々のニーズが変わる事は仕方ないんです。
そこで無理やり中学校野球を盛り上げようとする動きはやっぱり違和感があるし、そこで野球をしたいのは生徒ではなく教員という事になってしまいます。
学校の部活動がなくなればなくなったで、それでも野球がしたいというニーズが多くあれば、地域でそういった組織ができてきます。部活がなくなりそこで何も起こらなければそれまでのニーズだったという事になります。
人々にニーズとか、時代の流れとかで創造される未来ってなかなか変える事ができなくて、僕らができる事と言えばその運命のが来るのを早める事だけです。今までの栄光にすがってその運命に抗ってしまえば、やがて時代に取り残されてしまいます。
僕らがやるべきことは、無理やり何かを盛り上げるんじゃなくて、盛り上がる何かを創造したり、その何かに向かって発信したりすることなんだなぁと考えました。