研究において厳密なこと、役に立つこと相容れないのか?

先日、他のゼミの友人と夕食に行きました。

 

そこの研究室は、研究に非常に精通している研究室です。

 

しかし、彼はそれと同時に教員採用試験の勉強にも取り組んでおり、研究について全く手をつけられていない状態だそうです。

 

そこから話題は研究の話になりました。

 

彼は他の人の研究構想を聞いていると「ん?これは研究でいいのか?」というものがたまにあるそうです。

 

でも、研究って突き詰めれば突き詰めるほど汎用性がなくなるものだと私は考えています。

 

 

「これの実践をしたことでこどものコミュニケーション能力がつきました!」

 

これなら割と「おぉー!」と思いますよね?でも、研究している方からしたら「そんなの研究なの?」と思うかもしれません。

 

 

「これこれこうやってああやってすることで、コミュニケーション能力の中のこの能力を向上させることができました」

 

研究としては立派な結果かもしれませんが、これって結構「???」って思う方も多いし、「現場の役に立つの?」って思う方もいるかもしれません。

 

 

立派な研究をすることと、現場で役立つことを両立させることってめちゃくちゃ難しい事なのかもしれません。

 

入山章栄さん著の『見自ネススクールでは学べない世界最先端の経営学』では、一見役に立ちそうな教訓・名言が書かれた啓蒙書が理論的にそうなるのかは語られていないし、逆に経営学者は新しい知見と厳密であることをを求めがちで、実務への示唆は最後1段落で議論される程度であると書かれています。

 

また、米国のビジネススクールの教授には3つのタイプがあると書かれています。

 

1.査読論文を学術誌に掲載することを主戦場とする経営学者(研究中心の教授)

2.教育中心の教授

3.査読論文を学術誌に掲載するのではなく、一般書籍など別の形で経営学や実務家に幅広く影響を及ぼす経営者

 

西川先生は3になるんですかね?

 

何が言いたいかと言うと、それぞれの研究室で与えられている目標はもちろん違って、自分が与えられた役割を全うすればそれでいいという事です。

 

実際に役に立つか分からない論文であってもいずれほかの誰かの手で人々が分かりやすい形になって世に出ることもあります。

 

何かの役に立たせようと活動する上で抜け落ちているところを、他の誰かが研究としてすでにやってくれているという事もあります。

 

いろんな人が、いろんなところで関わり合って、最終的にいいものができればいいなって自分は思います。

 

 

一緒に夕飯を食べた彼は非常に優秀なのでこれから始める研究も、もちろん教員装用試験も抜群の結果を出すんだろうなぁって思います。

 

でも、彼は彼、自分は自分なんで、それぞれ与えられた目標に向かって全力で走り続けられたらなと思います。

 

まぁ、教員採用試験は全員の目標(むしろノルマ)なんですけどね。

 

自分の採用試験ももう1カ月後に迫ってきた。

 

結果を出そう。