明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

部活動の無い3年生がこの期間を活かすには目標が必須

各学校、3年生は卒業式を終え、受検も終え、部活も無い日々を過ごしていると思います。

  

 

この時期の3年生あるあるで、

 

「何をしたらいいのか分からない」

 

という生徒が多いと思います。

 

 

だからとりあえず、中学校の部活に顔を出したり、ちょっと問題を起こしてみたりと、、、

 

 

 

 

これって、今まで自分以外の誰かに日中の時間を管理されているがゆえに起こっている事だと思うんです。

 

 

今まで、朝起きたら学校に行って、放課後部活動をして、終わったら家に帰って家の中で自分の時間を過ごす。

 

 

子どもたちはそんな毎日を過ごしてきたと思います。

 

 

そこから急に部活動がなくなり、学校もなくなり、1日中暇になる。

 

 

かといって、何をしていいのかも分からない。

 

 

 

 

こうして、僕ら大人は彼らから時間的な自由を奪ってきました。

 

 

自由な時間が今まで無かったので、自由な時間ができたときに何をすればいいのか分からない。

 

 

自分で考えて行動することができない。

 

 

 

 

つまり、彼らの自由な時間(放課後)を奪っている部活動は、むしろ彼らの自立を妨げている可能性があります。

 

 

 

部活は確かに、教育的な価値があると思います。

 

 

僕も、部活動で育ってきたといっても過言ではありません。

 

 

しかし、部活動は正直、親が仕事に行っている時間に預かってもらえる場所、いわば「託児所」的な働きになっていることも否定できません。

 

 

 

 

彼らに自由な時間を与えることに不安を持つのも分かりますが、自由な時間をどのように使うかを普段から考えられるようにしておかないと、彼らの自立はどんどん遠のくと思います。

 

 

僕自身も、高校野球を引退してからは放課後の時間が余りまくって、本当に何をしたらいいのか分かりませんでした。

 

 

友だちとカラオケに行き、近くの定食屋で遊戯王カードで遊び、そんな遊びまくりの毎日を過ごしました。

 

 

遊ぶのが悪いとは言いませんが、もっと自分の将来に向けて何かできてたらなぁと思います。

 

 

幸いにも大学受験という目標があったので、高校の小論文の講座を受けたり、受験勉強をしたりと段々とやるべきことは見つかったのですが、それでも無駄な時間を過ごしてしまっていたなぁと振り返ることができます。

 

 

あ、もちろん友だちと遊びまくった毎日の思い出は無駄ではありませんよ。

 

 

 

 

大学や、大学院では本当に自由な時間が増えました。

 

 

その時間は、部活動の練習に当てたり、教員採用試験の勉強をしたり、研究をしたり、教育について学んだりしました。

 

 

その時間は全く無駄ではないと今でも断言することができます。

 

 

 

 

時間を無駄に過ごすか、有効に使うか。

 

 

その違いは、目標があるかどうかだと思います。

 

 

 

 

高校野球をしていた時は、目標がベンチに入ることや甲子園に出る事だったのでがむしゃらに野球の練習をしていた時間は無駄じゃなかったと思います。

 

 

しかし、高校野球を引退し、今まで目標にしていたベンチ入りや甲子園が急に無くなってしまった。

 

 

だから何をすればいいか分からずひたすら何も考えずに遊び続けました。

 

 

 

時がたって、目標の大学が決まった時、自分がやるべきことを見つけてそこからはがむしゃらに小論文の練習や受検勉強をしました。

 

 

その後、大学では教員という目標を見つけ、大学院では教員の本質について学ぶ事ができました。

 

 

 

 

高校野球引退時から大学院に至るまで、違いはやはり目標があるかどうかです。

 

 

自分が向かうべき場所はどこにあるのか、それが分かればそこに向かって走りだすことができます。

 

 

 

 

しかし、子どもたちに自由や余裕を与えず、ひたすらに「勉強頑張れ」「部活頑張れ」ということによって、彼らが目指したい所を見つけるのを妨げている可能性があります。

 

 

僕ら教員が彼らに“とりあえず”頑張る事を与えるのではなく、彼ら自身が目標を見つけることができる余白や自由を彼らに与える必要があるなと思いました。