その話し合い、子ども自身は参加してる?

夜中のゼミ室で、ゼミ生と話をしました。

 

話題は「子どもを通級に通わせるかどうか?」です。

 

学校側は子どもに対して”個別の支援計画”というのを作って、それを基に通級に通わせるか、特別支援学校に通わせるか等を親御さんにアドバイスします。

 

そして、その親御さんはそのアドバイスを聞いて子どもを通級に通わせるのか、通常学級に通わせるのかを決めます。

 

しかし、この流れに対してそのゼミ生は違和感を感じたと言っていました。

 

その違和感とは

 

”なぜ子ども自身が、進路を決める話し合いに参加していないのか”

 

です。

 

確かに!と思いました。

 

もしかしたら、子ども自身は通級に通う必要性を感じていないかもしれない。

 

逆に、通級に通うことが子どもにとって苦痛になってしまうかもしれない。

 

でも、この流れの中で子どもの登場シーンは一度も出てきませんので、この子どもの気持ちに気付くことはできません。

 

「この子どもはこういう特性があるからこうした方がいい」

 

「うちの子にはこうなってほしいからこうさせたい」

 

それよりも大事なことって

 

「僕はこうしたい!」

 

だと思うんです。

 

 

 

こーゆーことって、たくさんあると思います。

 

今、コロナ禍で様々な行事がなくなったりしていますが、そこに子どもの意見は入っていますか?

 

先生の意見をただ子どもに押し付けているようなことになっていませんか?

 

連日、相手の視点を持つという事を投稿していますが、その考え方はここでも出てきます。

 

自主的・自発的といった言葉は最近多く聞かれますが、自主的・自発的に動いているのは子どもじゃなくて先生や親になっているケースが少なくない気がします。

 

 

「こうしなさい」

 

「ああしなさい」

 

 

社会に出てからはそうやって指示してくれる先生のような存在の人はいません。

 

そうやって言われて育ってきた子は、もしかしたら先生がいなくなったら何もできない子どもになってしまうかもしれません。

 

これからの社会は、上司に言われたことをただひたすらしていれば生きていけるような社会ではありません。

 

自分の舵は自分で持たないといけません。

 

自分の進んでいる道が不安な場合は、操縦を補助してくれる人を自分で見つけなければいけません。

 

自分からアクションを起こす必要があるんです。

 

そのためにも、学生のうちから自分の道を自分で決めるといったことはしていかないといけません。

 

その補助をしてあげることが先生や親の役割ではないでしょうか?

 

 

 

先生や親が子どもを引っ張るのではなく、子どもが走っているのを見守るような教育がいいのではないでしょうか?

 

 

 

 

西川研究室って、夜中のゼミ室でもこんな学びがあるところなんです。

 

贅沢な環境やなぁ