アドラー心理学を用いた教育について

最近、ふと『嫌われる勇気』を読み返す気になったので、読み返しています。

 

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嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え 岸見 一郎 https://www.amazon.co.jp/dp/4478025819/ref=cm_sw_r_tw_dp_J11K8ZHAQX7QKY4TPJQN

 

この本は有名な本なので知っている方も多いと思いますが、アドラー心理学を用いた小説形式の自己啓発書です。



アドラー心理学で僕がよく用いるのが「原因論・目的論」と「課題の分離」です。この2つは普段の生活だけでなく、教育でも大きく活用することができます。



<原因論・目的論>

 

原因論とは何か行動を起こすのには原因があるといったフロイトの考え方、それに対して目的論とは何か行動を起こすのには目的があるといったアドラーの考え方です。

 

例を挙げてみると、「あの子が問題行動を起こすのはどういう原因があるのだろうか?」と考えるのが原因論、「あの子が問題行動を起こすことによって何を求めているのだろうか?」と考えるのが目的論です。

 

上記の例で考えたとき、教育の中で有効な考え方はやはり原因論でしょう。

 

例えば、構ってほしいオーラを出し続けるようないわゆる承認欲求型の子どもがいたとしましょう。原因論で考えると、「親に構ってもらえていない」とか「兄弟で比較されて・・・」とか今までの自宅での経験が原因の1つとして挙げられると思いますが、果たして私たちはそこにアプローチをすることができるでしょうか?保護者に「かまってあげてください」なんて言ってしまうと、その後はどうなるかもうお分かりですよね。

 

それに対して目的論は、「その子が何を求めているか?」に対してアプローチします。そうすると「誰かにかまってほしい」または「繋がりが欲しい」という目的が見えてきます(実際にはいろんな目的があると思いますが今回はそう仮定します)。そのためにしている行動が問題行動とされるようなものだったら、健全な関わり方を教えてあげるとかそういった対策ができると思います。

 

原因論は過去に対してしかアプローチできないのに対して、目的論はその子の未来に対してアプローチをします。僕は後者のほうがいいなぁと思います。



<課題の分離>

 

ある人の課題に対して、それを達成するかどうかで影響があるのは誰か?と考える方法です。

 

例えば、ある家庭でなかなか宿題をしない子どもがいたとします。宿題をさせるのが親の仕事だと思われがちですが、宿題をしなければ学校で先生に起こられたり成績が上がらなかったり思い通りの進路に進めなかったりするのは本人です。だから、宿題をしないことは子どもの課題で会って、親の課題ではないと、誰の課題であるかをしっかりと線引きをする方法です。ここで、「勉強しなさい!!!」と圧をかけてしまえばその子はきっと勉強嫌いになり、親子の関係も悪くなってしまうでしょう。

 

どうすれば良いかというと、宿題をしないことが本人の課題であることをしっかりと伝え、あとは「やるならサポートするよ」ということを伝えておくことが必要です。そこで支援を求めてくる事もありますし、自力で課題を達成することもあります。大切なのは、「人の課題に土足で踏み込まない」ということです。

 

ある国の言葉で「馬を水飲み場に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」という言葉があります。結局、やるかどうかは本人次第、本人を信じるしかないんです。

 

この課題の分離ができるかどうかは、『学び合い』を成功させられるかどうかにも大きくかかわってくると思います。





今回、教育の例でアドラー心理学を紹介しましたが、上越教育大学の赤坂先生が書籍を出されていますので、詳しく知りたい方はそちらをお読みいただくとより深く学べるのかなと思います。ただ、読むだけでなく自分のものにするには知識を実践することは必要不可欠なので、まずはやってみましょう。





嫌われる勇気は小説形式で非常にわかりやすく、読みやすい書籍になっています。『学び合い』も小説にしたら売れるんかな、、、

1人高級焼き肉vs友達とサイゼリアでチープなワイン

今日、明日と1日本当にオフです。仕事もない、部活もない、かといって誰かと約束があるわけでもない、おまけに恋人も実家に帰っている。本当の意味で2日間フリーなわけです。

 

かといって、いつも起きている5時に目が覚めます。何をしようかな、、、そういえばそろそろ高田公園の蓮が見ごろなんじゃないかと思い、5時半ごろから高田公園の散歩をします。

 

部屋に帰ってきて溜まっている本でも読む。『嫌われる勇気』の続編である『幸せになる勇気』を一気に読み、2冊目の『夢をかなえるゾウ』を読んでいました。

 

するとだんだん「飽きてきたな・・・」という感情が。次に始めたのはAmazonPrimeで「DRAGON QUEST -ダイの大冒険-」の鑑賞。最近面白くて見ているのですが、段々と「こんなに一人で家でダラダラしているのは時間を無駄にしているのではないだろうか・・・」という感情にかられました。

 

という事で、とりあえずスタバに行っていつも頼んでいえるアールグレイティーラテをオールミルク(最近はオーツミルクと混同しないようにゼンブミルクというらしいです)で頼み、席に座ってまた読書。

 

そしてまた読書にも飽きてきたのでこうしてパソコンでブログを書いている訳です。

 

 

 

 

何が言いたいのかというと、どうやら僕は何にもない日を一人で過ごす方法を知らないみたいだという事に気付いたという話です。

 

学生時代は友達に声をかけてボウリングをしたりカラオケをしたりしていたのですが、今はそんな仲間も働いていたり遠くに行ってしまったりしているので誘えない。大学院に残っている仲間を誘う事もできるのですが、なぜか修了してからはそんな仲間を誘いにくくなっている自分がいる。

 

思えば僕が学生時代のだいたいの時間を一人では過ごしていませんでした。だいたい誰かが僕の家に泊まっていたし、授業だって遊びだって野球だって誰かと一緒でした。

 

しかし、働き始めていざ1日やる事が無いってなると、なかなかやる事が思いつかない。なんとか絞り出してやってみてもどこか物足りない。逆に、学生当時は僕の部屋に集まってゲオで借りてきた映画を見たり、お酒を飲みながらしゃべっているだけで満足していた。

 

書籍『モチベーション革命』でも「乾けない世代の人間は、1人でタワーマンションの屋上で高級焼き肉を食べるより、サイゼリアで友達と飲む安いワインの方がおいしい」と書かれていましたが、それを実感している1日です。

 

 

 

まぁでも僕って野球以外にこれと言って趣味がないんですよね。それがこうして1人で1日を過ごす方法を知らない原因なのかも。

 

ちっちゃい頃はよく一人でドラクエとかモンハンとかパワプロして満足してたのになぁ、、、。

1学期は自分の型を構築する期間

一昨日、とりあえず1学期が終わりました。ゴールデンウィークを目標に頑張ろうと新年度当初は言っていたのですが、それどころか1学期は本当に一瞬で過ぎ去りました。

 

1学期は結構有意義に過ごせたんじゃないかなと思います。教育指導員の先生にアドバイスをいただきながら『学び合い』の体育の授業を行ったり、保護者や外部指導者、副顧問の先生と連携を取りながら部活動を運営したりと本当に様々な事について成長したなと実感しています。

 

1学期を振り返ると、自分の型を作る期間だったなと思います。

 

追う本当に何から何まで分からない初任。起案文書ってなんだろう、評価ってどうやってするんやろう、部活ってどうやったらうまく回るんやろう、働き方改革ってどこからできるんやろう。まぁ働き方に関しては学校文化によって変わるものだと思うんですが、まずは自分が働くうえで基盤となるものを構築できたんではないかと思います。

 

この型ができたおかげで2学期はまだ楽になってくると思うので、その余裕を使っていろんな事に挑んでいきたいと思います。もちろん、1番の目標は「今年1年間教員として生き残る」なのでそこをブラさないようにではあるんですが、自分がいいと思った事を積極的に取り入れていってみようと思います。

 

もちろん、その中で失敗することもあると思いますが、失敗は悪い事ではなくそこからまた成長すればいい。授業の中で子どもたちにはそういった話もしているので、まずは自分からいろんなことに挑戦していこうと思います。

 

 

昨日、今日と部活動でしたが、明日・明後日は本当に1日何もない日が続きます。

 

平日の疲れをとるためにゆっくりしたり、溜まっている本を読んでいったりと有意義に使っていきます。

学校に部活動が無くなれば地域にニーズができると思う

大学院時代に、「部活動を地域に移行することについて」という事でいろんな所にインタビューを行ったりしました。同じゼミの学部生とも一緒に活動していて、彼は継続してその活動を行ってくれています。そんな彼のブログを見て、実際に現場で部活動を持たせていただく立場になった今、そのことについてもう一度考えていました。

僕が考えた結論からいうと、「部活動から地域に“移行”することは困難である」と考えました。不可能とまでは言いませんが、移行する際にそこに関わる先生や地域の方のエネルギー等を考えると難しいのかなと思います。もしできた学校があったとしても、実現できる学校はほんの一部であると考えます。

移行する際にその受け皿がまずない。移行する際の手続きが多い。移行した時に中体連の大会に参加できない。移行する時に在籍している子どもや保護者からの反発など、課題が多すぎます。



ただ、だからといってやっぱり部活動の現状は正常ではないと思います。勤務時間に100%終わらない現状、やったこともない部活動の指導をしなければいけないこと、そしてそのやったことない部活動の審判にも入らないといけないこと、休みの日に平気で審判講習会や大会の抽選会が行われること、保護者の部活動への関与の度合い、活動に見合った給料が支給されないこと等挙げだしたらキリがありません。

もし部活動のブラックさを知りたい方がいましたら、内田良さんの書籍を読んでみるといいと思います。読んだだけでは実感することはできませんが、データとしてその現状をしっかりと表してくれています。



では、どうすればいいのか。まずは、先日もブログで書いた「帰宅部を認める」ということ。そうすれば、無理してどこかの部活動に入部している生徒をなくすことができ、部活動の本来の趣旨である「自主的・自発的な活動」に繋がると思います。ある方が僕のブログをシェアしてくださり、「帰宅部も部に入部している事が前提である」と書かれていた事には納得しました。

帰宅部を認めれば、当然成り立たなくなる部活もあります。まぁ野球やサッカー等の部活動はそうでなくても合同にしないと成り立たないところが増えていますが。

それでも部活動がしたい!と思う人は、学校の外でそういった団体に入ればいいんです。代金では総合型地域スポーツクラブも全国に浸透してきていますし、そうでなくても元々野球ならシニアやボーイズリーグ等の団体があります。お金がかかるという意見もあると思いますが、強制的に部活動に入り、その上部費まで取るという状態の方が異常だと思います。部活動には教育的効果はありますが、上記のものを抱えて現状のままで運営することは健全ではないと思います。

外で活動できる団体が無いという所もあると思いますが、本当にやりたい人は引っ越ししてまで転校してどこかの団体に入る人もいますし、地域にそのニーズがあるなら地域にそういった団体はできてきます。部活動があるからそういったニーズも地域にできないんです。



まずは、帰宅部を認めて部活動を本当の意味で「自主的・自発的な活動にする」。学校の中でできないなら学校の外でやる。そうすることで、地域にニーズが構築される。その中でやったほうが、「本気でやりたい」とか「趣味でやりたい」とかの目的別で活動ができますし、教員の働き方改革にもなる。部活動の指導がしたい人はそこでお給料をもらいながら指導すればいい。教員は副業禁止なのではなく、営利企業への従事の制限であって、自分のスキルアップに繋がる副業はむしろ奨励されています。win-winの関係が大切である事はビジネス以外のところでもよく言われますが、この方法なら生徒、地域、部活動がしたい・したくない先生、どれだけwinができるでしょうか。


ここ最近で2度目になりますが、大切な事なのでもう一度言います。帰宅部を認めましょう。

正解率はコイントスよりちょっと高いぐらい

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読み終えました。

 

先日、途中まで読んで書いたブログを書きました。

 

nbnl-takashi.hatenablog.com

 

コンピュータにできる事は数学でできる事(論理・確率・統計)でしかなく、AIに対して命令したり動作に意味をつけたりするのは結局人間だという話をしました。

 

そして第3章以降は、やはりそんな時代でAIに勝てる人材はどのくらいいるのか?という話になりました。

 

 

Society3.0時代から教育は「言う事を聞かせる」「ルールを守らせる」といった事をしてきました。その時代はAIのような夢の道具はありませんでしたし、大量生産ができれば街は栄えました。だから、いう事を忠実に聞く、正確に行える人材が必要だったんです。

 

まぁその時代の日本が愛国主義であったりとかそういう背景もあったと思いますが、歴史は僕の苦手な分野なもので、、、。勉強しないと、、、。

 

 そこで登場したのがAIです。

 

単純な作業であれば人間よりコンピュータの方がはるかに能力があります。数式をうてば多少複雑なモノでも「=」を押せば一瞬で正確に計算してくれますし、記憶という事に関しても最近は1TBを超える容量のPCも自宅に置けるようになりました。

 

人間の命令に忠実に、素早く対応してくれるのがAIです。

 

AIは東大に合格できるのか?というプロジェクトで開発されたのが「東ロボくん」です。残念ながら東ロボくんは東大には合格できなかったそうですが、MARCHや関関同立には合格することができたそうです。

 

逆に言えば、MARCHや関関同立レベルの事までAIはできるようになっている、つまりそのぐらいのレベルの仕事ならAIが代替できてしまうという事です。

 

 

 

そんな中で、AIに勝てるような人材を育てる事ができているのでしょうか?この本によると、残念ながらほとんどそれができていないのが現状だそうです。

 

東ロボくんの苦手分野とされているのが国語や英語、特に文章読解やグラフの読み取りだそうです。なぜなら、AIは記憶や計算は得意なのですが、文章やグラフの意味を理解することは苦手だからです。その文章を書いた人が伝えたい微妙なニュアンスを読み取るなんてことAIにはできません。

 

そこが人間にとってチャンスなんですが、まさかの人間の苦手なところもそこだそうです。なんせタイトルの通り、「教科書が読めない」んです。

 

詳しくは本を読んでほしいのですが

 

Q.以下の2つの文章の意味が同じか異なっているかを答えなさい。

"平氏は源氏に壇ノ浦の戦いで滅ぼされた"

"源氏は平氏壇ノ浦の戦いで滅ぼした"

 

といった問題でさえも、正解率は約56%だそうです。コイントスよりちょっと確率が高いぐらいです。

 

残念ながら、筆者の新井さんが言う"読解力"を上げる方法はまだ科学的に証明されていないそうなのですが、危機的な状況だという事が分かると思います。AIが苦手としている分野ができないということは、仕事を取られることを指をくわえてみているしかないという事です。

 

 

高校受験や大学受験に備えて問題を淡々とこなすことも必要かもしれませんが、子どもにもっともっと言語を積極的に使わせる教育が必要なのかもしれません。

 

こういった事も踏まえて、指導要領の改訂では「言語教育の充実」と強調されているんですかね。

コンピュータはただの計算機に過ぎない

『AI vs 教科書が読めない子どもたち』という本を読んでいます。

 

 

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AI vs. 教科書が読めない子どもたち 新井 紀子 https://www.amazon.co.jp/dp/4492762396/ref=cm_sw_r_tw_dp_PSXMK4S73H756VJ6ZXJG

まだ、第2章を読み終えたばかりなのですが、この本に書いているように僕はAIに対して過剰な期待をしていたようです。

 

まず、AI含めコンピュータはただの計算機に過ぎず、また数学でできる事は「論理」「確率」「統計」とこの3つだけだそうです。

 

最近は「ディープラーニング」という言葉も非常にメジャーな言葉となりましたが、私自身もこのディープラーニングを「AIが人間みたいに勝手に学習する事」とか「機会が知能を持つこと」とかそんな感覚で認識していました。

 

しかしそれは間違いで、AIが学習していくといっても今までのデータやすでに行われたことのデータを蓄積して、論理・確率・統計の作業をしているだけだという事です。

 

だから、AIはただ記憶するとか、ある文字列を見つけるとかそういった事は得意なのですが、記憶したものをどう活かすかとか、文字列の意味を理解する(その意味を元々人間が入力していれば別ですが)とかそういった事は出来ないんです。

 

AIは東大に入れるのか?というプロジェクトが一時話題になりましたが、英語や国語の長文問題とかグラフを読み取る問題は壊滅的だったそうですし、そもそも問題文の意味を理解することができなければ答えることもままなりません。

 

AIが人間の能力を超えるような「シンギュラリティ」という概念も登場しましたが、残念ながらその未来は来ないそうです。AIには限界があるので。

 

つまり、AIがいくら発達したからと言って、それを使いこなすのは人間だという事です。

 

 

 

AIはただの計算機に過ぎず、論理・確率・統計しかできない。また、文字列などに対して自ら意味を理解することができない。

 

ということは、にんげんでいう阿吽の呼吸とか、常識とか、人間同士の温かみとかそういった事はAIにはわかりません。

 

 

裏を返せば、そういった事を含まない事であれば、AIにだってできるはずです。AIが仕事を代替した方が効率アップも望めますし、人件費の削減にもなります。

 

 

 

では、そういったことができる人間はどのくらいいるのでしょうか?そういった事ができる教育を僕らはすることができるのでしょうか?

 

第3章以降にこのことが書かれてるんでしょうね、、、。

 

とりあえず、まだ半分ぐらいですが自分の頭の整理のためにも一度文字に残しました。

 

このまま読み進めます。

ワクワクする方に見切り発車することで自分の人生の価値が何倍にもなる

堀江貴文さんの『多動力』を読みました。

 

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多動力 (NewsPicks Book) 堀江 貴文 https://www.amazon.co.jp/dp/4344031156/ref=cm_sw_r_tw_dp_6N7J15RXYBP5CQVTK8Z0

 

この書籍で印象に残っている事は

 

・動き続けるために、人の目など気にしていない

・堀江さんはとにかくワクワクする方に動き続けている。

 

という事です。

 

 

人間が行動を躊躇する一番大きな理由として、堀江さんは「人の目を気にしているから」だと言います。

 

確かに、僕自身もそんな経験があります。

 

会議のここで発言をすれば、先生方にどう思われるだろうか。練習をサボればみんなにどうみられるだろうか。電車の真ん中で座れば他の人にどう見られるだろうか。

 

確かに、僕たちの行動を制限している事の多くは「他人からどう見られているか」という要素が大きいようです。

 

ただ、そんなことを気にしていたら何もできないし、意外と他人は自分に興味が無いそうです。3日前の自分の夕食も覚えていないのに、それが他人のこととなるとなおさらでしょう。

 

だから「他人の目を気にせずにとにかく動け!」という事なのでしょう。

 

 

これができるようになれば、「自分がワクワクするような事をやり続ける」んです。

 

逆に言えば、それ以外の仕事は捨ててしまった方がいいし、会ってワクワクしない人とのつながりは切ってしまう方がいいとも書いていました。時間は有限です。

 

にもかかわらず、自分がワクワクしない事に時間なんて使ってられない。「ブラックバイト追放」と運動を起こしている人もいますが、そんな事に時間をかけるのではなくて、仕事なんてありふれているんだからブラックなバイトなんてやめてしまって、ワクワクするバイトをすればいいんだそうです。

 

 

自分がワクワクする方になら見切り発進でも構わない。とにかく自分が動くことで物事も動いていく。自分ができない事は周りを巻き込めばいい。

 

そうやって多動に動くことによって自分の人生や、自分という人間の価値がどんどん上がっていくそうです。

 

 

この、「とにかくやれ」というのは、西川先生もよく仰ってました。僕が研究のことで西川先生に相談するとよく言われたのが「とにかくやれ」。きっと、「やらないで考えている時間が無駄だから」という言葉が隠れているんですね。

 

 

 

 

とはいっても、堀江さんのやり方はきっと堀江さんが言う「多動力」を極限まで極めている方法であって、ここにも塩梅が必要だと思います。

 

他人を気にしないといっても、会議で自分の考えを何も考えずとにかく発言していれば職員室にいづらくなるだろうから建前もひつようだし、電車の真ん中で座っていれば迷惑です。

 

先日教員採用試験に行ったのですが、筆記試験とはいえ半そで、短パンで試験会場に来ている受験生がいました。虫取りにでもいくのかな?と突っ込みたくなる格好で、人は意外と他人を気にしていないとは言いつつそんな強烈なのは記憶に残ります。

 

まぁ記憶に残るといった意味ではいい事なのかもしれませんが、それは迷惑系Youtuberがやる事でそんな印象の残り方はむしろマイナスですよね。

 

 

 

堀江さんに強烈な憧れがある方はこれを生き方のメソッドにすればいいと思うのですが、生きていくうえで人間関係も非常に重要なものだと思いますので、参考になりそうなところをかいつまんで実践していくぐらいがちょうどいいのかなと思います。

 

 

「ワクワクする事を」という事は、大学院の時のゼミ生もよく言っていたのですが、毎日がワクワクするような人生はとても素敵だと思いますので、この辺りから自分の生き方を見直して実践していこうかなと思います。