学校を社会と切り離して特別扱いしていることが多い気がします。
それを感じたのは、「運動会で保護者のスマホ撮影禁止」という朝のニュースをみた時でした。
理由としては、「運動会の写真のSNSへの投稿禁止というルールを守らない保護者にたいしてのクレームが絶えないから」ということでした。
はやり、SNSに対しての問題はどこの地域もどこの学校もあるようです。
SNSに上げた子供の写真に自分の写真が写っていた、なんなら自分の子供の名前も写っていて、そこから犯罪に繋がった、なんて例も。
ネット誘拐ってのもあるらしいですね。
ただ、そもそもそういったことって学校の中だけで起こっていることじゃなくて
学校の外でも同じことが頻繁に起こっています。
僕の母親が、ディズニーで写真を撮っていたら「今の、僕写りましたよね、消してください!」って他のお客さんにいわれた経験あるそうです。
場合によっちゃそういうのって訴えられることもあるんですよね。
それが、学校の中で起こったことなら先生の責任になって終わり。
学校の中ってルールが厳しくなってるようで、むしろ先生に責任を押し付けたらOKっていう治外法権的な所もあると思います。
この例だけじゃなく、いじめなんかも同じだと思います。
いじめって、人を追い込んで、時には苦しくて亡くなってしまう人だっているのに
いじめが実際起こったとしても、「いじめによって生徒がなくなりました」ってニュースで流れたり
当該生徒が特別指導を受けたり、転校させられたりするだけで
いじめが起こった学校の担任や校長がメディアの前で頭を下げる。
そもそも、18歳未満の人はただでさえ少年法で守られているのに、その上学校に痛み分けもしてしまえば本人の認識は薄くなってしまうと思います。
僕はいじめを受けた友達も知ってるし、いじめをした奴も知っていますが
いじめを受けた側はその傷を一生抱えながら生きていかないといけないのに
いじめた側はほとんどの場合なにも思っていない。
でも、それが学校の外で行われた場合は、暴行罪、恐喝罪、名誉毀損、強要といった名前をつけてその責任は全て本人が請け負う必要があるわけです。
もちろん、精神的ないじめに関しては明確な線引きをすることが難しいので一概には言えないのですが
学校の外と中でその重さが違いすぎると思います。
今日の記事は学校と社会が切り離されすぎじゃないかってことを書きたかったわけですが
いじめに関して寄りの話になってしまいました。
まぁ要するに、学校が責任を負いすぎることである意味治外法権的な社会になってるのはよくないよねってこと。