自由の強度を考える

「皆さんがこれから出ていく社会は・・・」という話を子どもにして、そこで生き残っていけるような人を育みたい。



そこから逆算すると、今は「言うことを忠実にやる能力」よりも「課題解決のために自分で試行錯誤する能力」が必要だと思っています。



そのために僕は生徒を自由にしてみたり、トラブルがあっても生徒間で解決するように促したりしています。





しかし、これまで『学び合い』の会でたくさんの方とお話させて頂いたり、現場でいろんな活動をした結果、学校では



「自由」 「トラブル」



といった言葉は嫌われるようです。



学校現場の中で一番大切にされている事は、生徒の成長よりもまずは「トラブルが起こらない事」だと感じています。



僕もそこは大事だとは思うんです。



いじめが起こらないとか、怪我しないとか。



そこは間違いなく大事なんです。





ただ、その方法としてよく採用されているのが教師が「管理」するという方法です。



本当はそれが起こらない集団作りをすることとか、起こった時に対応できる能力を身に付けることだと思うんです。



そのためには、ある程度教師が手を入れたとしても、生徒が自由に何かができる余地は必要だと思うんです。




でも、この「自由に」という所はやっぱり現場では受け入れられにくいです。





だから、受け入れられる程度に「自由」を生徒に与えていこうと思います。



「ここまではやっていいけど、このルールからはみ出ることはしないでね」とか。



まぁそれはやっているんですが、そのルールの強度を調節していく必要がありそうです。






そういえば、名古屋の中学校での事件が起きたときに、「子どもの休み時間にも教員の管理下に置けるように、休み時間に廊下を監督する教員を配置するべき」ってどっかのネットニュースで言ってる人見た気がする。




そんな所に教員を回す余裕は現場にはないし、そこまでしたら学校がもうただの監獄になっちゃうのにな。