明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

『学び合い』が上手な人は一斉授業もできる

今、剣道の単元をやっています。



でも、今回はなかなか『学び合い』ができそうにありません。



理由は、僕自信が剣道の知識や技能について自信がないからです。





じゃあ他の単元は知識も技能もあったのかと聞かれるとそれはそれでまた別の話になりますが、少なくとも他の単元の授業はいわゆる一斉授業のような従来の授業をある程度できる事がイメージできます。



『学び合い』においても、授業が少々別の方向に向かってしまいそうに向かいそうになっても、ある程度は何とかできるであろうと考えています。





しかし、剣道に関してはそれができる自信がありません。



自分が思っていない方向に向かっている生徒をもとの方向に戻す自信がありません。



だから、『学び合い』じゃなくて、生徒の動きに関係なく教師のペースで進められる一斉授業をせざるをえません。







僕は、「エキスパート・ノービス」という研究に興味があります。



エキスパート・ノービス研究とは、熟達者は初心者に何かを教授することが困難で、そのレベルが離れれば離れるほど困難であるという研究です。




この研究に基づけば、教員は知識がない(知識が生徒に近い)方が教授が容易になります。



未熟である方が、分からない人の気持ちが分かるんですよね。




『学び合い』において知識がありすぎると、できない子を見るとどうしても教えたくなる(別に教えるのが悪いと言っている訳ではありません)し、分かっていないほうがむしろ任せやすいこともあるんだなぁと現場で感じる事があります。




でも、それはある程度できる場合に限る事だなと感じています。



そのある程度の基準とは、一斉授業ができるかどうか、という所が基準だと感じています。






逆に言うと、『学び合い』の授業ができる人は、一斉授業も長けている人が多いんじゃないかなと思います。



自分なりに教材研究を重ねて、指導する自信があるからこそ子どもに任せられる。



この"自信"という所が『学び合い』ができるかどうかの分け目なんだなぁと感じました。