知ってしまったからこその悩み

先日、訳合って大学院のゼミの先輩と後輩とオンラインで話をしました。自分の代のゼミのこととか先輩の代のゼミの事とかを「懐かしいなぁ」と思いながら話をしました。

 

その中で、「西川研究室に入って学んだことによって、現場で苦しむこともあるよね」という話になったのが印象に残っています。

 

 

西川研究室って何を研究している所かと言うと、「教育をどうやってよくするか」なんですよね。教育大学の大学院なんやから当たり前のことなんですが、最近は『学び合い』の研究もあまりしていないのでみんなやる事がバラバラ。専門も何もないんです。

 

なんなら最近は研究もしているゼミ生が少ないので研究室と呼んでいいのか、、、。

 

「日本の教育をよくするために何らかの活動をしている集団」になるんですかね。

 

 

 

そんな研究室での1つのテーマとして「幸せ」があると思います。どうすれば教員が幸せな働き方ができるか、教員として働いた時にどうやって自分が幸せになるか、将来子どもが幸せになるにはどのような教育をすればいいのか。

 

そこを考えていくと、現在の学校にある多くの矛盾に気付いていきます。

 

例えば、よく言われている「個別最適化」について。「一人一人の子どもに対してそれぞれの能力やニーズに合った教育をしましょう」という事だと思うのですが、学校は時間割によって全員が同じ場所に集まり、学習指導要領によって全員が同じ教育を受けることになります。

 

「これから情報化が進んでみんなICTが使えないといけないから(それ以外にも理由あありますが)全員にタブレットを配ろう」といってGIGAスクール構想を打ち立てるも「義務教育は学校にきてなんぼだろう」というお偉いさんの意見によって義務教育でのオンライン授業は出席ではなく出席停止扱いになります。

 

子どもの将来のことを考えても、自分の好きな事を追求して自分だけの武器を手に入れる必要がある世の中であるにも関わらず偏差値教育というのは未だに根強く蔓延っています。

 

 

これはよくなんじゃないかと日本の教育を変えるために活動しているのが西川研究室なわけです。

 

 

僕は無事大学院を修了し、専修の教員免許を手に入れて学校現場に出たわけですが、やれることはやってみるとはいえやはり枠組みの中でしか活動することができません。いくら僕が「おかしい」と思っていても、学習指導要領は法的拘束力を持っているわけで、それをしないという事は法律違反になってしまうわけです。

 

教員は宮仕えなので自分が生き残っていくには教育委員会文部科学省の枠組みの中で仕事をしていかなければならないのですが、どうしても不完全燃焼のまま日常が過ぎ去っていってしまいます。

 

現在の職場は本当にいいい先生方ばかりで、1年目の新米教師にも関わらず僕の好きなようにさせていただいているのですが、それでもどこか自分の中で全力でできていないところがある気がします。

 

これは子どもの将来のことを考えるとどうなのか、これは本当に教員の仕事なのか、学校教育のこういったところはアップデートしないままでいいのか。

 

 

 

西川研究室を出ていなければそんなことに悩む必要はないのですが、知ってしまった僕はどうしてもそのように考えてしまう。

 

まぁそれは誰かに使えている以上、学校じゃなくてもそのような悩みはきっとついてくるんですけどね。

 

とりあえずは、上手に自分をだましながらやっていきます。