自分で言うのも何なんですが、ちっちゃい頃から優等生やったんですよね。
テストでも結構いい点数取るし、運動もそこそこできたから成績はほとんどが5段階の5で残りは4。小・中と児童会長・生徒会長で学校の外の野球チームでも小・中と1番キャッチャーでキャプテンをやってました。
家庭訪問とか3者面談とかはだいたい母親が立ち会っていたのですが、「1回やってみたい」と1度だけ僕の家庭訪問に父親が立ち会った事があります。その時の父親の感想が「お前先生の家庭訪問、ひたすらお前の事褒めてて面白くない」と、褒められたのに父親にディスられるといった事もありました。
まぁとにかく手のかからないいい子だったと思います。
そんな僕を見て母親が「たかしは堅いもんな」と言っていた事を覚えています。
姉も成績が良かったり児童会長とか図書委員長とかやるような人だったんですが、性格的に僕は堅実に生き姉は冒険するといった感じで、そんな姉弟で対比して僕の事を「堅実」と言ったんだと思います。
確かに、母の言うように僕はどっちかと言うと堅実に生きてきた方だと思っています。先生を選んだ理由としてももちろん色々あるんですが、「給料が良くて安定している」という事は間違いなく上位にあります。
ただ、その「堅い」というのはいい所について思う事があります。
堅いってつまり、「成功する確率が高いものを選びがち」とも言い換える事ができると思います。あんまりチャレンジしないって事ですよね。
また、学校の先生に気に入られていた理由も、決まっているルールを守り、先生のいう事は忠実に聞いていたからだと思うんです。
確かにルールを守ることも大切なんですが、それらを守る事が正義でそれら自体を疑う事をしてこなかったんです。
でも、今考えると果たしてそれでいいのか?と思う事が山ほどあります。
そんなに確率が高い事ばっかりやっていていて面白いのか?忠実に誰かのいう事を聞くだけならAIにだってできるんじゃないのか?この先もそうやって生きていくのか?
大学院に入ってやっと自分のそういった正確に対して疑いの目を向けることができました。
そして今、過去の堅い僕からやっとアップデートしている所です。