明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

感情は突発的、理論は普遍的

EYEAmWatchingという団体の方々と、上越教育大学の西川先生が対談をされていたので、Spotifyで聞いてみました。

 

 

対談の内容は、今ウクライナで起こっている戦争についての話。

 

 

戦争について西川先生はどう思われますか?と言った内容でした。

 

 

 

戦争は、みんなやってはいけない事だと思ってますし、多くの人がウクライナでの戦争が早く終わってほしいと思っています。

 

 

でも、それだけでは戦争はなくならない。

 

 

 

学校におけるいじめも多分一緒の事で、「いじめは絶対にしてはいけない事だよね」ってことは多分全員が知っている事。

 

 

それでもいろんな所で起きてしまう。

 

 

この「だめだよね」って事とか、「起きたら嫌だよね」って感情は瞬間湯沸かし器みたいなもので

 

湧きやすいが冷めやすい。

 

 

東日本大震災原発の話も、すでに熱はだいぶ覚めてしまってますよね。

 

 

それと同じ。

 

 

戦争にしても、いじめにしても、感情的な所に頼って解決することはなかなか難しいそうです。

 

 

 

じゃあどうやって解決するのか?

 

それは、それが起きることによる利害関係を本人に理解させることだそうです。

 

 

例えば、

 

「いじめが起きているのにを見逃してしまう事って、いつかそのいじめの矛先は自分に向かってくるかもしれへんよな」

 

「1人見捨ててしまうクラスは、2人目、3人目と見捨てる集団になってしまう。そんな集団にいたいと思える?」

 

といった感じで。

 

 

感情的な所は瞬間湯沸かし器なんですが、感情的な部分を削ぎ落した理論とか理由的な所は安定して普遍的なものです。

 

 

その普遍的な所を集団に語って、2割の人に理解してもらう。

 

 

どっちでもいいと思っている6割の人が、理解した2割の人についていくようになれば、いじめは極限まで少なくなりますよね。

 

 

集団の2割の人は従い、2割の人は無視する。残りの6割はなんとなくで動く。

 

これ、2:6:2の法則って言われてるんですが、もとはパレートの法則ってところからきてるらしいんで興味ある人は調べてみてください。

 

 

 

教育をはじめ、多くの事は人間の感情的な所に頼りがちですが

 

感情というのは不安定で突発的なものです。

 

 

僕も学級を経営していく上でこの辺りの事は意識しながら学級経営をしています。

 

 

挨拶はしないとダメ、時間は守らないとダメ、居心地のいいクラスにしてほしい

 

 

やらないといけないからではなく、なぜそれが必要なのか、特にそれをすることによってどんな得(徳ではなく)があるのか、という部分を繰り返し彼らに伝えていきたいと思います。