現場では『学び合い』という言葉を全く使わなくとも

先日、上越『学び合い』の会に参加しました。

 

 

結構久しぶりの参加だったので、初めて見る先生の顔もちらほらありました。

 

 

その一方で、いつも見ている参加者の顔もちらほら。

 

 

懐かしいなぁという感情が湧きました。

 

 

また、話の間所々で飛び出す『学び合い』という言葉。

 

 

そういえば、『学び合い』という言葉を使わなくなったなぁとそこではじめて気づきました。

 

 

神戸に来てから周りに『学び合い』という言葉を使っている先生はいらっしゃいませんし、

 

そのほとんどの先生は『学び合い』という言葉すら知らないと思います。

 

 

そんな環境で『学び合い』という言葉を使ってもきっと「あぁ、この若い子はなんか新しい事をしようとしてるんだなぁ」とぐらいしか思ってもらえないと思いますし

 

僕の授業を見て、いい印象を持つ先生が多いかと言われれば正直そうではない気がします。

 

 

生徒には『学び合い』という言葉を使わずに、自分がなぜこのような授業をしているのかは繰り返し語っていますが、

 

同僚の先生には一切語っていません。

 

 

テストで結果が出ているか、と言われれば、僕が授業をしていないクラスと同じような結果なので別に出ているとも出ていないとも言えません。

 

 

それはきっと、授業者である僕が全員達成を求めきれていなかったり、どこかで見取りを妥協してしまっている証拠だとは思うのですが、

 

結果が出るまではきっと『学び合い』という言葉で自分の授業を紹介することは無いでしょう。

 

 

唯一結果が出ているとすれば、学級経営ぐらいですかね。

 

 

「先生のクラスは欠席がすくないねぇ」と他の先生方から言っていただくことが多いのですが

 

他のクラスに比べて確かに欠席が少ない気がします。

 

 

遅刻も欠席も0の日もたまにでます。

 

 

それはきっと彼らが居心地のいい空間を作れている結果だと思います。

 

 

もちろん、問題が0という訳ではありませんが、小さな問題は彼らが成長するにあたって必要な事。

 

 

そんな小さな困難を彼らの力で1つずつ乗り越えることで、社会でも生き残っていける人間に成長する。

 

 

学校で『学び合い』という言葉は全く使いませんが、僕の教育観として心に『学び合い』が染み込んでいますので、そうやって成長した生徒が来年度クラス替えをした時にそれぞれのクラスで活躍してくれることを祈っています。

 

 

余裕があるときに、どっかで生徒にだけ『学び合い』の本質を伝えてみようかな。