『学び合い』は授業の外でもできることを伝えたい

『学び合い』は

 

 

①学校観:学校は、多様な人とおりあいをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場である。

 

②子ども観:子どもたちは有能である。

 

 

の2つの観から成り立ちます。

 

 

授業観というものもあったのですが、考え方が洗練されて最近では上記の2つの観だけを言うようになったそうです。

 

 

これを基に、全国の多くの先生方が『学び合い』の授業を実践されています。

 

 

 

『学び合い』が話で持ち上がるときによく言われるのが、「『学び合い』は方法じゃなく考え方である」ということです。

 

 

『学び合い』と名前の付く多くの書籍は授業方法や実践例の事ばっかり書いてる(今年度が始まる直前に、上教大の阿部先生が『学び合い』による学級経営の書籍を出版されています。)から、「いやいや、結局授業のことやん」って僕も思っていました。

 

 

ただ、いざ現場に入ってみると、「『学び合い』って授業じゃなくて考え方やな」って本当に思います。

 

 

 

担任の先生が抜けている日で僕がクラスの朝の会、帰りの会を見るとき、給食の時間、休み時間、部活動等、全ての時間をこの「学校観」にあてはめることができます。

 

 

そして、この学校観に向かって『学び合い』を実践するうえでポイントとなってくるのが、まさに子ども観である「子どもたちは有能である」ことを教員が信じれるかどうか。

 

 

この2つだけを考えながら行動すればいいため、何か自分が困難に陥った時はこれと照らし合わせて行動することができます。

 

 

本当にシンプルで分かりやすい行動指標なので、迷うことも少ないんですが。

 

 

そうなってくると、『学び合い』というのは授業の場面だけに限らず、「授業観」が無くなったこともうなずけます。

 

 

 

 

『学び合い』を方法だと捉え、ただ生徒に課題に取り組ませるだけではそれはただの「放任」になったり、「遊び」になってしまったりします。

 

 

「子どもたちは有能である」ことを信じることができなければ、そもそも『学び合い』を実践することはできません。

 

 

だから、『学び合い』を実践するうえではこの2つのどちらか一方でも抜けては行けないわけです。

 

 

 

逆に、この2つをしっかりと理解している人は、「学校観」を基に生徒が出ていく社会の変化を敏感に感じ、学び続けると思いますし、多くの裁量を子どもたちに任せることができるのだと思います。

 

 

そして、この2つの観を基に教育しているため、その実践は授業に留まらず学校教育のあらゆる所で実践することができるのだと思います。

 

 

 

ただ、『学び合い』関係の書籍や研究は授業に特化したものがほとんどです。もちろん、入りは授業でいいと思うのですが、その書籍だけを読んで方法だけで実践してしまえば『学び合い』をしている意味がありません。

 

 

 

 

授業以外にも、阿部先生の学級経営の書籍をはじめ、掃除とか部活とか給食とか生徒会とかいろんなところで『学び合い』の実践をしている方がいるのではないでしょうか?

 

 

そもそも『学び合い』の実践としてある活動にフォーカスする時点でナンセンスなのかもしれませんが、『学び合い』が授業以外でも実践できるということを多くの人に伝え、「『学び合い』は方法じゃなくて考え方だよね」という会話が無くなるぐらい、考え方として浸透すればいいのになと思いました。