明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

「何で学校に行かなきゃいけないのだろう?」という質問に回答するために

「何で学校に行かなきゃいけないのだろう?」


そう思ったことはありませんか?ちなみに僕はありません。


そこに疑問を持ったことはありませんでしたし、そもそも学校に行くのが億劫になったこともありませんでした。


別に学校が嫌じゃなくても「何で?」と考える生徒はいるとは思いますが。

 

緊急事態宣言により部活動が休止になる時期がありましたが、「部活動が無いなら学校に行く意味がない」と考えている生徒も全国にはたくさんいるようです。


ということは、そう考えている子も部活以外の活動に意味は見いだせていない訳です。

 

それってどうなんでしょうか?


「学生の本業は勉強」だと世間ではよく言われていますし、部活はそもそも教育課程外の話しな訳です。ついでに言えば、部活のほとんどの時間は残業です。しかもほぼタダ働き。

 

部活にだけフォーカスしましたが、子どもにとって自分の将来と今の学校がなかなか結びつかない事に気付く子は少なくないはずですし、その学校生活が楽しくないのなら「何で行くの?」となるのも不思議ではありません。

 

これは、そもそもの教育の目的が教育現場でないがしろになってしまっている事が原因だと考えます。


教育の目的とは、教育基本法第一条で

「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

とされています。


この目的を掲げる理由として、教育基本法の前文に

「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。

 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。

 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。」

と書かれているんですよね。


まぁそもそもこの目的が長かったり抽象的すぎたりという事が無いこともないと思うのですが、教員全員がここに向かっている感はないなぁという気がします。


どういうことかというと、企業であれば「企業理念」とか「ミッションステートメント」とか呼ばれるものがありますよね。


スタバであれば

「人々の心を豊かで活力あるものにするためにー一人ひとりのお客様、一杯のコーヒー、そしてひとつのコミュニティから」

という理念の下に行動指針を構築し、社員全員がそれを基に働いていますし


ディズニーだって

ウォルト・ディズニー・カンパニーのミッションは、私たちを世界最高峰のエンターテイメント企業たらしめている象徴的なブランド、創造的な精神、革新的なテクノロジーを通じて、他に類を見ないストーリーテリングの力で、世界中の人々にエンターテイメント、情報、インスピレーションをお届けすることです。」

というミッションの下、社員同士を「キャスト」と呼び合うなどの徹底ぶりがされています。

 

教育には「人格の完成」という最上位の目標があるものの、受験を目指して行う各教科の授業とか、勝利至上主義の部活動はそこに向かっているのかどうかは疑問です。


先生方一人一人に裁量があることはいい事なんですが、ゴールがないがしろになってしまっているために、全体としてブレブレな教育になってしまっています。

 

そりゃ、生徒も「学校って何で行かなきゃいけないの?」ってなりますよね。

 


教育の目的というものをもっと強調して、「本当にこの活動は人格の完成に近づくのか?」を明確にすれば、必要な仕事、必要でない仕事を選別することができると思います。


そうすれば、働き方改革にもなりますし、教育としてもブレの無いものにしていくことができる、「学校って何で行かなきゃいけないの?」の質問にも胸を張って答えることができるようになるのでしょうか?