明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

答えがすでにある問いなんかに用などはない

僕ってちっちゃい頃からゲームが大好きだったんですよね。

 

 

多分、幼稚園の時から当時任天堂の64(ロクヨン)でパワプロとかマリオカートとかゼルダの伝説とかをやりまくっていました。

 

 

最近、任天堂switchのオンラインのコンテンツで、64のゲームがswitchでできるようになりました。

 

 

その中でも当時よくやっていた「ゼルダの伝説時のオカリナ」というゲームをやっていたのですが

 

まぁこれが難しい。

 

 

操作自体はそんなに難しくないのですが

 

ゼルダの伝説の醍醐味ってカギを手に入れたり扉を開けたりするための謎解きなんですよね。

 

 

これが本当に、大人になってからやってもなかなか進めない。

 

 

出てくる敵とかが怖すぎるのも含めて小学生当時の自分よくやってたよなこんなゲーム、、、。

 

 

でも、今の時代なら本当に鍵の場所が分からないとか敵の倒し方が分からないとか

 

お手上げの時はGoogleで「ゼルダの伝説 時のオカリナ 攻略」

 

って調べたらすぐに攻略法が出てきます。

 

 

昔はそんなことはできず、攻略本を買ったりとかもしてたのですが

 

今は攻略本なんて買わなくてもネットで調べればすぐに答えが出てきます。

 

 

これってゲームに限った話ではなくて

 

例えば、数学の問題が解けないとなれば、数式を写真にとるだけで勝手に答えを導き出してくれるアプリもあるし

 

外国の方に話しかけられて何を言われているのか分からなければGoogle翻訳を通じて会話をすればいいんです。

 

  

答えがあるものがネットで調べればすぐに出てくるという世の中で

 

自力で答えを導き出すといった無駄な作業を学校教育ではさせてしまっていると感じることがあります。

 

 

そんな事よりも、今の時代で大切なものって

 

どこでどう調べれば答えを見つけることができるのかという自らの検索能力であるとか

 

答えが無いものに対してどのように向かう事ができるかとか

 

そういった事だと思います。

 

 

こんなブログを書いていると、RASWIMPSの「正解」という曲を思い出しました。 

 

あぁ答えがある問いばかりを

教わってきたよ そのせいだろうか

僕たちが知りたかったのは

いつも正解などまだ銀河にもない

一番大切な君と仲直りの仕方

大好きなあの子の心の振り向かせ方

なに一つ見えない僕らの未来だから

答えがすでにある問いなんかに

用などはない

 

 

初めから答えがあるものよりも、答えが無い事に対してどのように向き合えるか

 

自分の人生を幸せにするにはそっちの方が大切だと思います。