1995年1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災が起こった日時です。
聞いた事をすぐに忘れる僕でもこの日時だけは覚えています。
僕は1996年生れなので実際に震災を経験したわけではありませんが、神戸市の学校ではこの日はどの学校も避難訓練と阪神淡路大震災を題材にした教材(『しあわせ運べるように』やったかな?)で授業が行われます。
神戸市中央区にある「人と未来防災センター」にいって震災の映像を見たりする学校もあるのではないでしょうか?
両親からも、
「いつも普通にあけてるドアが開かんくなってドア蹴ったりして無理やり開けようとしたんやけど、押し戸と引き戸を間違えてるだけで管理人さんにドア普通に開けられたわ」
って話を聞いたことがあります。
実際に体験した両親は笑い話にしていましたが、いつも開けているドアの開け方が分からなくなるぐらいパニックになっていたということですよね。
テレビや講演では、よく長田区の大火事の様子の写真が出てきます。
今見てもすごい火災ですよね。
ちなみに復興した長田は今はこんな感じ。
神戸の方々の力を感じます。
震災復興を祈念して、「しあわせ運べるように」という歌もあるのですが、その一節に
「傷ついた神戸をもとの姿に戻そう 支え合う心と明日への希望を夢み」
とう歌詞があります。
まさに当時の神戸の方々が支え合う心を持って、希望を夢見て傷ついた神戸をもとの姿どころが更にいい街に発展させた姿が今の長田だと言えます。
長田だけでなく神戸市全体が大きく被災しましたが、今では完全に復興し、中心地である三宮では今年度の始めに新しいビルが立つなど更に発展を続けています。
にしても三宮はまだ開発するんやな・・・
僕はそんな神戸の街が大好きで、高校から県外に行きましたが最後にはやはり神戸に帰りたいという気持ちがあり来年度からは神戸に帰ります。
僕がこういった気持ちになっているのも、神戸市の教育で震災について学んでいた事や地元の人の温かさが要因だと思います。
大学院時代にゼミで「震災とかってどうやったら風化しないんですか?」って先生に質問したら「風化するよ」と答えられました。
だって、その時の恐怖心をずっと持ち続けながら生きていくなんて精神が持ちませんし、だんだんと心の負担をなくすためにも人間には忘れるとか風化とかいった機能ができているんです。
ただ、震災からどうやって神戸は立ち直ったのか、立ち直った後はどのような姿になっているのかなど神戸の素晴らしい所を子どもに伝え続け、ちょっとでもそれが彼らの神戸が好きだという思いの材料になれば、そしてそんな彼らが神戸に残ってくれればなとか思いながら教育をしていきたいなと思っています。