偏差値信仰の崩壊で全ての人が幸せになれる社会を

僕が教育の中でも上位で嫌いな考え方が、「偏差値の高い学校に進学すれば幸せな未来が待っている」という考え方です。



確かにまだまだいい人材を採用するために大学名でフィルターをかけている企業もあるみたいです。



相対的にいい大学に行っている人の方が仕事ができる人が多い(と考えられている)上に、そこでフィルターをかけておけば採用する際に楽になります。



ただ、そんなところでフィルターをかけている企業はもう時代遅れです。



もっと大事なのは、その企業で自分が持っている力をどのように活かせるかとか、なぜその企業で自分の情熱を燃やすことができるのかということだと思うんです。



そういった所を考える所が学校であり、特に義務教育の9年間だと思うんですね。





ただ、さっき言った偏差値信仰のせいで子どもはなかなか自分でこれを考えられずにいます。



将来の夢を考えさせる割には「遊んでばっかおらずに勉強しろ!」と言わなければいけないし、Youtuberになりたい生徒に対しては「もっと堅実で社会のためになる職業にした方がいいんじゃないか?」と言わなければいけません。



「言わなければいけない」という表現にしているのは、世間でもまだまだ偏差値信仰がはびこっているため、その流れに沿った教育をしないと「先生何してるんですか」と同僚や保護者から攻撃を受けてしまいます。



時代の流れに沿った教育をすることが自分の身を守る方法であるため、そのためにも「しなければいけない」とちょっと皮肉った言い方をしています。





でも、本当にたくさん勉強すれば幸せになれるのでしょうか?



たくさん勉強して、いい企業に入って、就職した先の会社はとりあえずご飯を食べていけそうな給料がもらえる会社だから入ったけど、全然面白くないし仕事が苦痛で、、、



といった未来が幸せでしょうか?



もちろんそんな未来の子どもばかりではないでしょうか、本当に自分がやりたい仕事に就くことができなければ「仕事はしんどいもの」というイメージのまま就職を決め、社会に出てしまいます。



人生の多くの時間を仕事に費やす日本人にとって、仕事が面白いかどうかは幸せと直結していると思います。





でも、偏差値信仰のせいで、なかなか自分がやりたい仕事が見つからないという子どもが多いと思います。



偏差値教育で競争を促すのは、エリートを育成するのには適している環境かもしれませんが、その競争には多くの人間が負けてしまいます。



その競争から抜けることによって幸せになれる人はたくさんいるのにです。





勉強していい学校に進学する事よりももっと大切な事ってあるはずなんです。




たとえば、「Youtuberになりたい!」という子どもはたくさんいます。



やりたいことがあるのはとてもいいことです。



じゃあ


どんなYoutberになるのか、どうすればYoutuberになれるのか、動画制作や企画のアイデアについてどこで学ぶのか、具体的にどれぐらいの収入が見込めるのか、仲間はどうやって集めるのか、Youtuberだけでは難しいなら副業としてなにかするのか


など、そうやって自分の夢について具体的に考えていく必要があります。



そうやって考えていけば、自分がどんな高校に進学すべきなのかとか、その後の進路はどうすべきなのかが見えてくるし、そのために今何をしなければいけないのかも見えてきます。



「自分の可能性を広げるために、とりあえずいい学校に進学しなさい」という発想は、とりあえずいい学校に進学するために勉強だけしてればいいため、自分の将来を具体的に考えようとする障害になってしまいます。





ただ、最近は普通科の高校よりも工業とかの職業高校に進学する子どもが増えているそうですし、N高などの広域通信制という道を選ぶ人も増えています。



段々と世間は気付き始めています。



僕ら教員は、自分の身を守るためにも波に沿った教育をする必要があるためなかなか偏差値教育を変えるといっても難しいんですが、世間の子どもや保護者がそっちの方向に流れれば僕らもそっちに流れることができます。



だからこそ、こういったプライベートな場でこういった情報を発信し続けて、ちょっとでも多くの人にこのような考えが広まるように活動しています。




少しでも早く偏差値信仰が崩壊し、全ての人が幸せになれるような社会が来ることを、そして僕自身が心からいいと思えるような教育ができるような世の中になることを祈っています。