明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

彼らの将来の幸せに向けての僕の役割とは

僕が教育の中で大切にしていることは、クラスならクラス、部活なら部活の雰囲気を楽しいものにしていこうと生徒に思ってもらうようにしていくことです。

 

 

ポイントは、僕が雰囲気を作るんじゃなくて、雰囲気を作るのはあくまで生徒だという事

 

そして教室や部活動が楽しいと思える事の2点です。

 

 

担任や顧問の人間性や雰囲気にクラスや部活の雰囲気が寄っていってしまう事は仕方がない事なのですが

 

できるだけその担任として、顧問としての僕の色を薄くしたいなとも考えています。

 

 

先生が先頭に立って、クラスや部活を盛り上げて学校行事や部活の大会で結果を出す先生ってやっぱりかっこいいし

 

結果を出しているという事で回りの先生からの信頼感もどんどん高まっていきます。

 

 

でも、そうやって先生が先導して結果を出し続けたクラスの生徒って、今まで引っ張ってくれる人がいなくなったらどうなってしまうのでしょうか?

 

 

学年が上がって担任の先生が変わった生徒

 

3年生の最後の大会が終わって部活動を引退した生徒

 

学校を卒業して社会人になった生徒

 

 

今まで先生に引っ張ってもらっていた生徒が、その後の人生自分で前に進むことができるでしょうか?

 

 

もちろん、できる子もいますし、できない子もいると思います。

 

 

ただ、僕は僕の手を離れてからも自分で歩いていけるような生徒を育てたい。

 

 

僕が学校生活で彼らを引っ張って育てていくよりも

 

生徒が自分で考え、自分たちで問題を解決できるような教育がしたい。

 

 

また、僕は彼らの人生に関われる期間は限られていますが

 

彼ら同士ならその期限はありません。

 

 

だから、彼ら同士の中で引っ張ってくれる人を見つけることができたのなら、それはそれで1つの自立の形だと思っています。

 

 

そのために、僕自身の色はできるだけ薄くしたいなと考えています。

 

 

 

もう一つの、「楽しいと思える」ということについて。

 

 

この「楽しい」というのは、人生の幸せというところを考えたときにポイントになってくる言葉だと思っています、

 

 

偏差値70オーバーの高校、大学を卒業して一流の企業に就職してある程度のお金が稼げたとしても

 

毎日仕事に追われて、仕事が辛い、、、なんて人は幸せとは言えないと思います。

 

 

毎日降りかかってくる仕事をこなすのが楽しいと思える人は別ですが。

 

 

別に一流の進学、一流の企業への就職ができなかったとしても

 

生活に困らないぐらいの稼ぎがあって、仕事に行く事が楽しくて、週末には友達と飲みに行ってという人は僕は幸せだと思います。

 

 

自分の人生を楽しめるか、という所が幸せを見つける上でのポイントで

 

じゃあどうやって楽しめばいいのかという所を見つけるのが学校だと思います。

 

 

集団生活をしていくうえで、どうやったら自分が楽しめるのか

 

自分が楽しもうと思ったら、自分が所属している集団の雰囲気が楽しいものになっていないといけない

 

クラスとか部活とかの雰囲気って、自分が学校生活を楽しむうえでのポイントになっているんじゃないか

 

じゃあ自分が楽しもうと思ったら、自分だけじゃなくてクラスとか部活動の仲間にとっても楽しい場所じゃないといけない

 

という所まで彼らが気付いてくれたらいいなぁと考えています。

 

 

 

ちょっと長々と書いてしまいましたが、彼らの将来の幸せに向けて

 

彼ら自身の力でクラスや部活動が楽しいと思えるような集団が作れるように

 

ちょっとずつサポートしていければいいなと思います。