「教員って、みんな教育観が違うから子どもが混乱するよね」
って先輩の記事を読みました。
その記事に非常に共感しました。
僕も学校現場で働いていてそのように感じる事がしばしばあります。
僕は、大学院で『学び合い』というものを学び、さらに今後の社会がどうなっていくのかと言うところを学び、そこに向けて教育をしています。
だから、「受験に向けて勉強しよう!」というよりも「社会で生き残っていくために将来を見通して進路を決めよう!」って感じに、「挨拶をしよう!」というよりも「社会で生き残っていくために必要な事を考えよう!」って感じになります。
僕の考え方だけでなく、受験を優先する先生や、人間教育を優先する先生、とにかく早く仕事を終わらせたい先生や、学校を楽しんでもらいたい先生など先生の数だけ教育観も存在します。
こういった中では、A先生は「○○しなさい!」と、B先生は「なんで△△しないの?」、C先生は…といったように、一人の生徒に対して先生の言うことが人によって違うという事態が起きてしまいます。
これでは生徒は混乱してしまいます。
先生の教育観が一人ひとり違うことについてはメリットもあると思っています。
先生ー生徒間とはいえ、お互い人間です。
相性はあります。
だから、いろんな先生がいることによって、学校の中に子どもとマッチする先生が存在する可能性が高まります。
とはいえ、今は教科の先生も担任の先生も子どもは選べない時代。
大学のゼミみたいに選べるようになったらいいのに。
ただ、そんなことを言っていても現状では選べないのだから仕方がない。
でも、多くの先生が「○○しなさい!」と言っている状況では生徒を混乱させてしまう。
だから、先生は「○○しなさい!」じゃなくて「○○したらどう?」と生徒に提案する形にして、子ども自身が腑に落ちた言葉を選んで実行できるようにすればいいんじゃないかなと思います。
いずれにせよ、子どもが主体的に生き方を選べるような余地があることが学校には必要なんじゃないかなと思いました。