日常的な幸せ、イベント的な幸せ

修了式が終わってから数日が経ちました。ほとんどの人は引っ越しを済ませ、それぞれの地へ旅立ちました。

 

今まで当たり前のように一緒にいた人にももう会えず、ゼミ室に行けばいた人にももう会えず、それでも僕は今上越でいつも通りの日常を過ごしています。

 

これから彼らに会う時も「久しぶりやなぁ!!!」と、1回1回の再開を喜ぶことになると思います。いわば、彼らに会うことが僕にとって1大イベントになるわけです。

 

それはそれで幸せな事かもしれませんが、今まで当たり前のように会っていた時間は本当に心地よくて、幸せな時間だったんだなぁと感じます。

 

このように感じるだろうなという事は修了式の前から予想はしており、日常的な居心地良さを無駄にしてきたわけでもありませんが、大事にすればするほどその時の日常というものは恋しくなるものです。

 

僕の知っているある人は、誰かと会う事をワインに例えて、会っていない期間を「熟成期間」と呼び、たまーに会う事のイベントを楽しんでいるといったことを言っていました。また、そのたまーに会う期間は自分にとって必要な時間であるという事も言っていました。

 

確かに、人と会うという事は寝かせれば寝かせるほど感慨深いものになりますし、その人と仲が良ければ良いほど会う時にワクワクします。

 

でも、やっぱりそんな人が近くにいるという環境が幸せである事には変わりありません。相談できる仲間がすぐ近くにいた環境が恵まれていたんだなという事は、勤務してから痛感する事でしょう。

 

 

僕は、高校の時から地元を離れ、大学、大学院と、この先なかなか会うことができないような別れを3回してきました。その度に、頼れる仲間、話を聞いてくれる仲間が近くにいた事の幸福に気付かされます。

 

そんな経験を子どもたちに伝えることで、近くにいる仲間、いつも会える仲間の存在がいかに大切かという事に気付かせてあげたいです。

 

 

もちろん、全国に仲間がたくさんいることも素晴らしいことですけどね!