明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

教員が彼らの友達を作ってあげる事なんでできない

今日は、大学院の時の仲間と昼食を食べに行きました。

 

 

彼らは来週、大学の卒業式・修了式があって、それが終わればそれぞれの勤務先があるところへ行ってしまいます。

 

 

昨年は僕の終業式があって、その時も多くの仲間が遠くへ行ってなかなか会えなくなってしまったのですが、今回はM3まで勉強していた同級生や一緒に勉強や研究をしてきたM1や学部4年の仲間が遠くへ行ってしまいます。

 

 

しょっちゅう会っていたわけではないとはいえ、仲間が遠くに行ってしまうというのは寂しい気持ちになります。

 

 

 

 

そう考えると、仲間が近くにいるだけで安心感があるんだなぁと感じます。

 

 

何かあったときに話を聞いてもらえる、ちょっと時間ができたときに一緒にご飯を食べに行ったり遊びに行ったりすることができる。

 

 

そんな安心感が常に近くにあったなぁと思います。

 

 

 

 

人間は常に安心感を求めるようにできていると考えています。

 

 

安心感があると穏やかに、充実した気持ちになりますが、逆に不安になると心が不安定になり、時に攻撃的になったりもしてしまいます。

 

 

コロナの出始めなんか特にそうでしたよね。

 

 

新型コロナウイルスという未知のウイルスに対して人々は不安がり、コロナになった人を差別し、県外ナンバーの車を傷つけ、自分以外の何かを攻撃していました。

 

 

最近では、コロナがどういうものかがだいぶ分かってきたため、人々は比較的穏やかに過ごすことができています。

 

 

 

 

 

さて、話が少しそれてしまいましたが、人間にとってのいちばんの安心材料って、、やっぱり人間だと思うんですよね。

 

 

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

 

 

という冗談もはやりましたが、不安な事や困難な事が訪れたとしても、誰かと一緒なら怖さも半減しますし、安心して進むことができます。

 

 

まぁ赤信号はみんなで渡ったとてNGですが(笑)

 

 

 

 

VUCAとよばれる不安定で不透明な世の中になり、その色も段々と強くなっていくようですが、そんな世の中だからこそ誰かがいるという安心感が自分の心に余裕を生みます。

 

 

そして、そんな社会に今から出ていくのは、僕らが教育している生徒です。

 

 

すなわち、彼らがこれから安心して生きていくためには、学生のうちに仲間をたくさん作っておく必要があります。

 

 

たくさんってか、たくさんいなくても絆の深い仲間がいればという意見もあると思いますがそこはとりあえずおいておきましょう。

 

 

 

 

では、彼らはどうやって友達を作っていけばいいのでしょうか?

 

 

無論、教員が友達を作ってあげられるわけではありません。

 

 

「今日から君と君は友だちね」なんて言われても友達になれるでしょうか?

 

 

これと一緒の論で行くと「じゃあこれで君たちは仲直りね」と強制的に仲直りさせるのもどうかと思いますが。この話もおいておきましょう。

 

 

 

 

彼らが友達を作るには、彼ら自身が誰かに働きかけて友達を作らなければいけません。

 

 

僕ら教員ができる事と言えば、そんな機会やきっかけを彼らに与えることぐらいです。

 

 

共に助け合い、協力し合う経験は、彼らの友達作りのきっかけになると思います。

 

 

しかし、僕らができるのはそこまでです。

 

 

そこからは彼ら自身が動かなければいけないんです。

 

 

教員は、彼らに対してしてあげられることは限られていることを認めるべきです。

 

 

きっかけを与え、あとは彼らの力を信じる事しかできません。

 

 

 

 

そんなことを考えながら、これからも教育していきたいなぁと思います。