明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

数学=マリオ?

最近やり始めたことが2つあります。



まず1つ目は、高校数学の勉強です。


来年の採用試験、数学で受けようかなと考えていて、とりあえず数ⅠAから勉強を始めてみました。


方程式とか組み合わせとかわりとまだできるところもあれば、絶対値を含めた不等式とかメネラウスの定理とかすっかり忘れてしまっているものもあります。


自分の記憶や問題集の解説を頼りにしながら問題を解いていきます。



数学って、この過程が面白いんですよね。


問題文で与えられるヒントを元に、確実に答えに近づいていく感じ。


まるで謎解きゲームですよね。





2つ目はマリオのゲームです。


小さい頃からマリオが大好きでした。


スーパーマリオブラザーズシリーズを始め、スーパーマリオ64マリオサンシャインマリオパーティー、マリオストーリーマリオカートなど、数々のマリオゲームをやり込んでいました。


しかし今は、任天堂Switchは同僚の先生に譲っていただいたのですが、やり込んでしまいそうだからと買ったゲームはみんなでできるようなマリオパーティーだけ。


先日、用があって実家に帰省すると、姉が「スーパーマリオ3Dコレクション」というカセットを貸してくれました。


小さい頃やり込んだマリオ64マリオサンシャインが入っています。


やってみると楽しくて楽しくて、でもマリオ64マリオサンシャインも3日でエンドロールが来てしまいました。



何が楽しいかって、村人とか看板とか、色んな手がかりを頼りにしながら物語を進めていく感じ。


進むには正しい順番で進まなくてはいけなくて、アイテムを手にしないと先には進めません。


どうやったらこのコースを攻略できるか、どうやったら次のステージに進めるのか。


謎解きをしながらゲームを進めていきます。




あれ、数学とマリオって一緒のことしてる?


じゃーマリオでも数学で育もうとしてる「論理的思考力」ってやつ育めるかも、、、?

ストレスチェックは職場改善の手掛かりになる

一昨日終業式があり、ついに2学期が終わりました。



長期休みに入りましたが、僕らはもちろん出勤があります。






そんな長期休みの初日、昨日はメンタルヘルスについての研修がありました。



ストレスチェックというものが最近学校にも導入されましたが、ストレスチェックには

 

①労働者自身のストレスへの気付きを促し、メンタルヘルス不調の未然防止につなげる

 

②ストレスの原因となる職場環境の改善につなげる

 

という2つの目的があるそうです。



②に関しては僕が知らない部分だったので、とても勉強になりました。





ストレスが少ない職場環境にするために(特に学校現場において)大切なことが2つあるそうです。




まず1つは、仕事を増やさないこと。



学校の先生はただでさえ仕事が多いです。



毎日の教科の授業はもちろん、部活、行事の計画、教材費等の会計、成績の処理、通知表の作成など山積みです。



そんな中、「子どものため」とか「保護者のため」と仕事を増やしてしまえば身体的なストレスがかかってしまいます。



今の学校現場ではできるだけ仕事は増やさず、むしろ削減する方向で進めた方がよさそうです。



ちなみに、今の先生方にとって負担となっているのは上位常連の保護者対応に加えて、「GIGAスクール構想への対応」が大きなストレスとなっているようです。



実は、タブレット使用状況があがれば学力が落ちてしまうというデータもあるんだとか・・・



タブレットを使うことが目的になってしまっている学校が多い事が原因として考えられますね。





少し話がそれてしまいました。





2つめは、教員間の連携をしっかりととって、協働して仕事をすることです。



特に小規模の学校になれば、校務分掌が一人の先生に多く当てられ、一人で仕事をすることも多くなってしまいます。



やっぱり一人で仕事をするってなかなか孤独感を感じてしまいますし、頼れる人がいないというのはなかなかストレスになってしまいます。



「助けて!」といったら誰かが助けてくれる環境、「これどのようにしたらいいですか?」と相談できる環境、「一緒にやってあげるから頑張れ!」と協力できる環境が構築できていれば、ストレスもたまりにくいです。



俗にいう“心理的安全性”ですね。





学校現場では、子どもの対応などに気を取られ、なかなか自分に関心を持つことが難しいです。



その結果、気付かない所でストレスがたまってしまったりもしてしまいます。



この2つを学校現場で実践する事で先生方の心の余裕を確保し、より教育の質を高められるといいですね。

目的がない高学歴はリスクになる?

日本では少子化が問題視されています。



なんで少子化が始まってしまったのでしょう?



僕の意見として、その背景には高学歴化があると思います。





一般的にも経済的にも、学生結婚とかってあんまりしませんよね。



結婚だけならまだしも、学生のうちに子どもを産んで育てるなんてような事はなかなかできません。



大学を卒業するのは22歳、大学院まで出ている人は24歳です。



つまり、大学や大学院までいっている人の多くは22歳、24歳まで子どもを産もうとしません。





また、子どもを産むのに年齢も関係してきます。



高齢出産は子どもにも影響が出てくる可能性が高まることも報告されていますが、それ以外にも体力も減少してしまいますし、流産のリスクも高まってしまいます。






そうなってくると、高学歴であればあるほど出産人数が減ることが予想されます。





もちろん、高学歴なのが悪いことではありませんし、結婚や出産にも色々な形があります。



ただ、「とりあえず働かなくてもいいから」で大学や短大に行っている人は、このようなリスクも背負っていることを理解するべきです。



出産にリスクを伴ってしまうだけでなく、経済的にもリスクが高いです。



学費も支払わないといけない、奨学金も借りている、本来働いている時間を学業に費やしている。



大学に進学するということは、実はこんなにもリスクを背負っています。





僕の親世代ぐらいまでは、大学はきっとエリートが行くような所だったと思うのですが、今は別にそんなこともありません。



学力的には誰でも入れるような大学、いわゆるボーダーフリーと呼ばれるような大学もあります。



なんの目的もなく、とりあえず大卒という肩書が欲しいから大学にいくという選択肢が、これらのリスクを上回るメリットだとは思いません。






少子化の話とは最後は少しそれてしまいましたが、進学は偏差値で決めたり、とりあえず行けるとことに行くのではなく、「将来何がしたいか」という所を逆算した上で目的をもって行うべきです。



そうでなければ、高学歴であることはむしろリスクになることも理解しておくべきです。

先生だって完璧じゃない

廊下を歩いていると、こんな会話が聞こえてきました。



「先生方って時間守れって言うくせに、授業の時間普通に過ぎる事あるし、授業時間過ぎても次の授業に遅刻したら怒られる。何も言わんけど小学生の頃から思ってたんよね。」



もっともすぎる・・・





子どもに言っているけど自分はできていない。



そんなこと、結構ないでしょうか?





時間に限らず、給食の食べ方、挨拶の仕方、言葉の使い方など。



自分ができていないのに生徒に偉そうに言ってしまう場面って自分では気付かないだけで結構あると思います。



こうやって記事を書いている自分も、多分いっぱいあります。





これの対策としては、“偉そうにしない”という所が大切だと思います。



僕ら教員は子どもを大人にすることが仕事で、社会で生き残っていけるように指導する事が大切です。



僕らは大人社会で生き残っていて、しかも“先生”と呼ばれる立場なので、あたかも自分は完璧であるかのように錯覚してしまいます。





でも、我々大人だって、教員だって一人の人なんです。



全部が完璧にできる人なんてなかなかいません。






それを自覚した上で指導すれば、少なくとも“偉そうに”指導することは減っていくんじゃないかなと感じます。



「自分も一人の人間やからもちろん完璧じゃない。でも、みんなも時間を守るって事は大人になる上で絶対にできた方がいいと思うから、徐々に直していこうな。」



こんな感じの指導をしてみればいかがでしょうか?

剣道の礼法指導もコンプラ違反?

剣道の授業をしています。



まだ単元の最初なので礼法をやっています。



立礼、正座、座礼、左座右起、黙想など・・・。





ところが、彼らの多くは正座をすると「痛い!!!」と、数秒しか正座をすることができません。



確かに体育館の床に裸足で正座するとすぐにしびれてしまいそうですが、そんな足つぼ推した時ぐらい叫ばれるとなぁ、、、。



足首が硬いから?





コンプライアンスが叫ばれる今、「ちょっとぐらい痛くても我慢しなさい。それが精神を鍛えることに繋がります。」なんて真顔で言ってしまうと、下手すると体罰になりかねません。



そのあたりってどうなのでしょうか?





まぁ別に将来正座をする事とか、左座右起で立ちすわりする事とかもありませんのでこれができた所で別に彼らにとって得かどうかは別の話になるんですが、かといって礼法は剣道をやるにあたって必要な項目なのでやらないわけにもいきません。






ってかそもそも礼儀作法を教えるんやったら体育で剣道を取り入れるんじゃなくて、日常生活で必要な場面を想定したアクティブラーニングとかすればいいのに。



まぁ分からんでもないけど、もうちょっと教科で目指すところを明確にして(指導要領で明確にはなってるんですが)、やることを絞っていった方がいいのになぁと思います。

今年も残すところ10日となりました。

今年も残すところあと10日となりました。

 

 

仕事を始めてから9か月。はやいなぁ。

 

 

 

 

教員1年目はとにかく教員として生き残る事に必死です。

 

 

もちろん、その中で大学院の時に学んできたことをできるだけ実践してきましたが、

 

授業にしても行事にしてもそれ以外の仕事にしても、

 

初めての事ばかりだったので本当に乗り切ることに必死でした。

 

 

 

その中でも、できるだけ多くのことにチャレンジしてきました。

 

 

最も大きな取り組みはやはり『学び合い』を実践した事。

 

 

自分で単元を持って体育の授業で『学び合い』をするのは初めてだったのですが、これはなかなか手ごたえがありました。

 

 

こんなことで子どもの将来に大切な事を育めているのだろうか、、、という疑いがまだ残っていない事もないですが、

 

それでも生徒の授業での動きのよさや、楽しそうにしている生徒の姿を見ていると

 

やってよかったなぁと感じています。

 

 

 

それ以外にも、自己評価の相互評価について、タブレットを使った授業実践など色々とチャレンジしてきました。

 

 

 

ただ、このチャレンジするという事はなかなか現場で受け入れられず、苦しむことも多かったです。

 

 

「授業って"普通"はこうだよね」と、今までの授業の延長線上がやはり受け入れられやすいです。

 

 

その中でも実践をしようと思うならば、同僚の先生方と良好な人間関係を結ぶという事が非常に重要な事だと学びました。

 

 

まぁあくまで人間関係作りは仕事をしていて楽しい環境を作るって目的とか、そもそも皆さんいい方ばかりという事が前提ですが

 

 

うまく人間関係を構築することで、やりたいことをやる事ができました。

 

 

 

 

それでもやっぱり初任なのでやってはいけないラインが分からず、やりすぎてしまう事もあります。

 

 

同僚の先生にやさしく釘を刺していただく場面も何度もありました。

 

 

そのたんびにまぁまぁへこんでましたが、自分にもまだまだ伸びしろがあるんだと考える事ですぐに立ち直る事ができました。

 

 

 

 

いろいろチャレンジしてみて、見てもらって、指摘されたことはちゃんと直して、分からない事は聞いて。

 

 

そんな試行錯誤の繰り返しの1年でした。

 

 

 

 

とりあえずは残り少ない2学期をまず乗り切ろう。

自由の強度を考える

「皆さんがこれから出ていく社会は・・・」という話を子どもにして、そこで生き残っていけるような人を育みたい。



そこから逆算すると、今は「言うことを忠実にやる能力」よりも「課題解決のために自分で試行錯誤する能力」が必要だと思っています。



そのために僕は生徒を自由にしてみたり、トラブルがあっても生徒間で解決するように促したりしています。





しかし、これまで『学び合い』の会でたくさんの方とお話させて頂いたり、現場でいろんな活動をした結果、学校では



「自由」 「トラブル」



といった言葉は嫌われるようです。



学校現場の中で一番大切にされている事は、生徒の成長よりもまずは「トラブルが起こらない事」だと感じています。



僕もそこは大事だとは思うんです。



いじめが起こらないとか、怪我しないとか。



そこは間違いなく大事なんです。





ただ、その方法としてよく採用されているのが教師が「管理」するという方法です。



本当はそれが起こらない集団作りをすることとか、起こった時に対応できる能力を身に付けることだと思うんです。



そのためには、ある程度教師が手を入れたとしても、生徒が自由に何かができる余地は必要だと思うんです。




でも、この「自由に」という所はやっぱり現場では受け入れられにくいです。





だから、受け入れられる程度に「自由」を生徒に与えていこうと思います。



「ここまではやっていいけど、このルールからはみ出ることはしないでね」とか。



まぁそれはやっているんですが、そのルールの強度を調節していく必要がありそうです。






そういえば、名古屋の中学校での事件が起きたときに、「子どもの休み時間にも教員の管理下に置けるように、休み時間に廊下を監督する教員を配置するべき」ってどっかのネットニュースで言ってる人見た気がする。




そんな所に教員を回す余裕は現場にはないし、そこまでしたら学校がもうただの監獄になっちゃうのにな。