明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

『学び合い』が上手な人は一斉授業もできる

今、剣道の単元をやっています。



でも、今回はなかなか『学び合い』ができそうにありません。



理由は、僕自信が剣道の知識や技能について自信がないからです。





じゃあ他の単元は知識も技能もあったのかと聞かれるとそれはそれでまた別の話になりますが、少なくとも他の単元の授業はいわゆる一斉授業のような従来の授業をある程度できる事がイメージできます。



『学び合い』においても、授業が少々別の方向に向かってしまいそうに向かいそうになっても、ある程度は何とかできるであろうと考えています。





しかし、剣道に関してはそれができる自信がありません。



自分が思っていない方向に向かっている生徒をもとの方向に戻す自信がありません。



だから、『学び合い』じゃなくて、生徒の動きに関係なく教師のペースで進められる一斉授業をせざるをえません。







僕は、「エキスパート・ノービス」という研究に興味があります。



エキスパート・ノービス研究とは、熟達者は初心者に何かを教授することが困難で、そのレベルが離れれば離れるほど困難であるという研究です。




この研究に基づけば、教員は知識がない(知識が生徒に近い)方が教授が容易になります。



未熟である方が、分からない人の気持ちが分かるんですよね。




『学び合い』において知識がありすぎると、できない子を見るとどうしても教えたくなる(別に教えるのが悪いと言っている訳ではありません)し、分かっていないほうがむしろ任せやすいこともあるんだなぁと現場で感じる事があります。




でも、それはある程度できる場合に限る事だなと感じています。



そのある程度の基準とは、一斉授業ができるかどうか、という所が基準だと感じています。






逆に言うと、『学び合い』の授業ができる人は、一斉授業も長けている人が多いんじゃないかなと思います。



自分なりに教材研究を重ねて、指導する自信があるからこそ子どもに任せられる。



この"自信"という所が『学び合い』ができるかどうかの分け目なんだなぁと感じました。

先生だって完璧じゃない

昨日、ブログを書き損ねたから朝投稿、、、。

 

 

 

 

 

廊下を歩いていると、こんな会話が聞こえてきました。



「先生方って時間守れって言うくせに、授業の時間普通に過ぎる事あるし、授業時間過ぎても次の授業に遅刻したら怒られる。何も言わんけど小学生の頃から思ってたんよね。」



もっともすぎる・・・





子どもに言っているけど自分はできていない。



そんなこと、結構ないでしょうか?





時間に限らず、給食の食べ方、挨拶の仕方、言葉の使い方など。



自分ができていないのに生徒に偉そうに言ってしまう場面って自分では気付かないだけで結構あると思います。



こうやって記事を書いている自分も、多分いっぱいあります。





これの対策としては、“偉そうにしない”という所が大切だと思います。



僕ら教員は子どもを大人にすることが仕事で、社会で生き残っていけるように指導する事が大切です。



僕らは大人社会で生き残っていて、しかも“先生”と呼ばれる立場なので、あたかも自分は完璧であるかのように錯覚してしまいます。





でも、我々大人だって、教員だって一人の人なんです。



全部が完璧にできる人なんてなかなかいません。






それを自覚した上で指導すれば、少なくとも“偉そうに”指導することは減っていくんじゃないかなと感じます。



「自分も一人の人間やからもちろん完璧じゃない。でも、みんなも時間を守るって事は大人になる上で絶対にできた方がいいと思うから、徐々に直していこうな。」



こんな感じの指導をしてみればいかがでしょうか?

否定されることは別に悪いことではない

僕って、自分のこと否定されると結構へこむタイプなんですね。


自分のことってか、自分がやってることに対しても。



教育とか、行動とか性格とか。


まぁ否定されていい気がする人なんてなかなかいないと思うんですが、結構へこむタイプです。





でも、否定されるってことは、自分が成長できるところを見つけてもらえたって意味でとらえるとそれはプラスになるんですよね。


批判してもらえることって結構幸せなことなんですよね。


だって、まず自分のことを見てくれていないと批判すらできませんから。




あ、ちなみに批判って

「良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。」

って意味なんで、決して悪い意味ではないみたいです。




誰かが自分のことをみてくれていて、評価してくれるから自分の弱点を知れて、自分の成長に繋げることができる。




自分への否定的な意見も、そうやって考えるとちょっと和らぎますのでおすすめです。

大切なのは自分が生き残る事

今日は、僕の学校での取り組みについて、同僚の先生にアドバイスをいただきました。

 

 

もちろん、僕もいろんなことを勉強したうえで教育をしているし、まだまだ初任で固定概念とかも少ないので、新しい事にどんどんチャレンジして行こうと考えています。

 

 

でも、今回のやり方はちょっと違ったみたい。

 

 

その先生は、もっといいやり方をこれからも研究していこうなと、ものすごく前向きな言い方で忠告してくださいました。

 

 

勉強してきたことがあまりいいやり方じゃなかったってことはちょっと落ち込むけど、大きな事になる前に気付けて、教えてもらえてよかったです。

 

 

子どもの成長が大切やけど、それよりも大切なのは自分が教員として生き残ることやから。

 

 

 

今日はちょっと落ち込んだけど、家に帰ってからいい事もあったし、そしてもうすぐ冬休み。

 

 

あと1週間ぐらいの2学期、乗り切ろう。

こどもの成長の現場を目撃できる素晴らしい授業

跳び箱の単元が終わりました。



マット、跳び箱は全時間をマン振りの『学び合い』で行いました。



一番最初に課題となる技と得点の表を子どもたちに渡し、生徒それぞれが自分のレベルに合った課題を定め、思考しながら解決していく活動です。



活動中に僕が教えることはほとんどなく、そのまま単元が終わりました。



ってか、僕が教える余地なんてほとんどなかったんです。



彼らは彼らなりになぜできないのかを考え、自分たちでアドバイスをし合って活動していました。



そんな彼らの活動を僕の介入によって止める事はできません。





もちろん、彼らの心にも浮き沈みがあるので、積極的に取り組む日もあれば、なかなか取り組まない日だってありました。



そんな中でも、誰か一人が跳び箱を跳び出すと、他の生徒も続いて活動を始めます。



なかなか取り組まない生徒に対しては、「ほら、跳ぶよ!」と発破をかけてくれました。



その役割ですら生徒がやってくれるんですね。





跳び箱で一番の壁となるのは「怖い」という感情と戦うことだと思います。



勤務校でもそういった感情と戦っている子がたくさんいました。



「どうしたらいいんやろうか、、、」と、いろんな先生にアドバイスをもらったりしながら教えてみたりしたのですが、それでもできません。



でも、気がついたらその子ができるようになってたんです。



どうやって恐怖を克服したんやろう・・・



話を聞くと

 

「跳び箱の横にサボテンのとげがついてると思ってってアドバイスした」

「跳び箱を跳べたらあの転勤したあの先生が会いに来てくれるよ!」



そんなアドバイスをしていたようです。



僕がどう頑張っても克服させてあげられなかったものを、彼らはそうやって解決していました。



僕なんかより優秀な先生です。





振り返ってみると、やっぱり『学び合い』をやっててよかったなぁと思います。



生徒の成長ということはもちろん、そんな生徒同士で課題を解決する現場を目撃できる授業は本当にやっていて楽しいです。






次の単元も『学び合い』でやろう。



しかし、どうしても剣道の授業で『学び合い』をすることがイメージできないから、今回は普通にやってみようかな。



まぁやり方はどうであれ、考え方はきっと変わらないので。






そもそも剣道の授業がなかなかイメージできん。



誰か代わりにやってくれ・・・

まずは2学期のゴールまで。

もうすぐ年末。



働きはじめてから本当に一瞬でここまで来ました。



何が印象に残ってるか?と聞かれても、本当に光のスピードで日々が進んでいったためなかなかパッとでてきません。


幸いにも職場に恵まれ、ここまで楽しくやらせていただくこともできました。



それでもやっぱり、ちょっと疲れたな。



現場の現実に色々と思うところもあり



うまく行かないこともたくさんあり。



それでも、はじめの1年間のゴールが見えてきた気がします。




まずは怒涛の2学期、気を抜かずに締め括りたいです。



同期のみんなも頑張ってるかな。



みんな乗り越えれるといいな。

自分の専門の教科にこだわりが無くなったという話

僕は、体育と数学の免許を持っています。



ここまで保健体育の授業を『学び合い』でしてきましたが、やっているうちに正直保体でも数学でもいいなぁと感じてきました。



理由はいくつかあります。



教科に関わらず、『学び合い』をすることによって目指すところは子どもの将来を逆算した際に幸せになれる能力を身につけてもらうことだから。



その能力を身につけることに比べたら、教科で教えることは大したことがないから。



どれだけ授業を工夫しても教員ができることには限界があるから。



などなど。






もちろん、どの教科も身につけるに越したことはありません。



全教科身に付けた方がいいに決まってます。



でも、多くの子どもにとってマストではない。



でも、課題を解決するために試行錯誤し、折り合いをつけながら他者と協力する力は全員にとって必要不可欠な能力です。



『学び合い』であれば、どの教科でもその能力を身につけることができる。






結局大事なのは、子どもの将来を逆算して、どのような教育をすれば子どもが幸せになれるのかをイメージできるかどうか。



それを踏まえて教育ができるかどうか。






そう考えると、保体でも数学でもどちらでもいいなぁと思います。