「なんでこんなん勉強せなあかんねん!大人になってから因数分解なんかつかわんやんけ!」
多くの子どもが思うことですよね。
僕自身も思ってました。
だってほら、実際に大人になってから因数分解なんて使ってる人見たことありませんし、
一応「論理的思考力を伸ばす」という目的はあるそうですが、日常で使う論理的思考力と数学の因数分解で使う論理的思考力はまた別物であって
数学で培った論理的思考力が日常で活かされるといったエビデンスは無いといった事も聞いたことがあります。
まぁ僕自身がエビデンスを探していないのでこの辺は偉そうに言えないのですが、、、。
でも、先生になったらやっぱり聞かれるこの「勉強ってなんでするの?」問題。
僕の高校の時の先生は、「努力の練習」とおっしゃっていました。
特に暗記科目。
スポーツは努力すれば結果が出るものではないが、漢字テストは努力すればするほど結果が出る。
出るは言い過ぎかもしれませんけど、少なくともスポーツよりはでやすい。
だから、勉強は努力の練習なんだよということを言われていました。
確かにスポーツに比べれば勉強の方が結果が出やすい。
だから割と納得していました。
さて、私はどう考えているのかというと
そもそも勉強って学生のうちだけやるものではないです。
実際に僕もまだまだ勉強不足ですし
教師という職業にかかわらず、社会で生き残っていこうと思ったら勉強をしないといけません。
成功しているビジネスマンも共通して自ら学び続けていて、「全然結果が出ない」と嘆いたり愚痴ったりしている人は一向に成長せず、いずれ首を切られてしまいます。
学生のうちにやっている「勉強」という、いわば「新しいことを身に着ける」という事は実は大人になってから生き延びるための術だったんです。
また、与えられた課題をこなすという作業についても一緒です。
会社で「○日以内に〇〇というノルマをこなす」というのは社会でよく聞く話です。
これが達成できない人は、もちろん排除されてしまいます。
学校に当てはめてみると、「期末テストで〇点取らないと赤点」というのと似ていますよね。
〇点とらないと進級できないのですから。
まぁ、これは高校に限ってですが、、、。
高校に関しても、赤点になっても何かしらの救済があるんですけどね。
会社のノルマにしてもテストにしても、達成するためには自分で達成するための術を見つけるしかありません。
しかし、がむしゃらに頑張っているだけでは結果はついてきません。
その課題を達成するためにどうすればいいのかを考えて、行動しなければいけません。
その課題も学校のテストは赤点で済みますが、会社にだったらクビです。
そうならないためにも、学校で勉強する練習が必要なんです。
それを授業でするのが『学び合い』なんですけどね。
そう考えると、先生がおっしゃっていた「努力の練習」という考え方に似ているのかもしれませんが。
では、西川先生はどうなんでしょうか???
それについては今日のゼミで質問してみたので、後日西川研究室のYoutubeにUPされる動画をご覧ください!
みなさんはこの「勉強ってなんでするの?」問題について、どのように考えますか?