明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

「歴史を学ぶ」より「歴史から学ぶ」

いろんな書籍を読んでいると、こんな感じの文章が出てくることは少なくありません。

 

「例えば、80年代のアップルの急成長を支えたスティーブ・ジョブズは・・・」

 

本で伝えたいことを、過去の事例を使って分かりやすく伝えようとしているんですね。ある考え方が非常に論理的だったとしても、「そんなの机上の空論だよ」と言われてしまいがちです。しかし、その論理によって過去に成功した人や失敗した人が存在するとなると、説得力が全然違ってきます。

 

こうやって、過去から何かを学び取ることって非常に大切な事なんだなぁと感じる一方で、学校教育における「社会」とか「歴史」とおいう分野においては、それぞれ単なる記憶教科だと思われがちです。僕自身、社会は記憶教科であり、1つ覚えても1点にしかならないということが1つの原因として社会嫌いでした(数学や化学は公式とか覚えたら応用でほかの問題も解けて、覚えることが少ないですよね、、、(笑))。

 

しかし、今考えればこの僕の考え方は本来の社会を学ぶ目的としてはかけ離れたものな気がします。

 

ではなぜこのようなことになってしまったのか。それは、社会をただの受験教科とか、テストで点を取るために覚えないといけないものととらえていたからだと思います。そのため、社会という教科の本質を知らずに、ただただ覚えるといったことになってしまったんだと思います。

 

 

そういえば、社会が好きな人って僕が「社会は1個覚えても1点にしかならへんからムカつく」っていうと、「いやいや、歴史はつながってるねん。だから1個覚えたらストーリーでつながるねん」と言われました。漫画と一緒の感覚なんでしょうね。

 

 

こうして社会が好きで覚えている人はまだいいんですが、僕みたいに「いっぱい覚えないといけない→嫌い」になっている人は本当にもったいないなと思います

 

こうならないためにも、社会(今回は特に歴史)の本質を伝える事、学ぶ目的が点数を取ることにならないことが大切だなと思います。まぁ、社会に限りませんがね。

 

大切なのは、「社会を学ぶ」ことではなく、「社会から学ぶ」だと思います