明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

見るとは、すなわち評価すること

最近、会議が多くてなかなか部活に行けていません。

 

 

理想は、僕がいなくても1年間生徒だけで運営できることですが

 

やはり「見る」ということは非常に大切なことのようで

 

彼女らに何かを伝えるときにも、見ているか見ていないかだけでどれだけ言葉が届くかが変わってきます。

 

 

見るとはすなわち、生徒を評価することであって、普段からそれをしていないのに彼女声をかけたところで、なかなかその言葉は届きません。

 

 

また、見る上で大事なことは、一人ひとりを見るというよりは、集団としてどのように成長しているかというところを見ることの方が大切だということです。

 

 

もちろん、一人ひとりを見れるに越したことはありませんが、時間的にもなかなか一人ひとりを丁寧に見るということは難しい。

 

 

一人ひとりを見て、個に応じた指導を一人ひとりにしていくというよりも、

 

集団全体を見て、その中で人とかかわり合うことによってお互いに成長するといった構造の方が、教育では現実的なように思います。

 

 

一人ひとりを見るにしても、集団を見るにしても、大切なのは彼らに声を届けること、そのためには彼女らをしっかり見てあげることが大事かなとおもいます。

 

 

成績関係の会議で最近見られていないのは申し訳なく思いますが、空いてる時間はできるだけこれからも彼女らの活動を見て、評価して、

 

彼女らの成長をサポートしていけたらなと思います。