明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

性に関する発言を責めるという正義感について

「レシートのお返しです」

→いや、貸してないけど・・・


「〇円ちょうどお預かりします」

→え、いくらか返してくれるん?


そんなちょっとした言葉遣いが気になることってありますよね。


まぁ僕が逆に指摘されるとムカつくんですが・・・





さて、最近「男らしい」とか「女々しい」とかそういった性に関する発言について問題にされることが多いです。



保健体育の教科書でも「異性の尊重」という所があるんですが、そもそも異性とはなんなのか、生物的な性と心の性が違う事についてはどう扱えばいいのか、難しいですよね。



人それぞれ意見はあると思いますが、僕が気になるのは



「男らしいとか女らしいとか、性を決めつけるような言い方は良くないよね」って思うことで自分は正義だと思っている人についてです。



確かにその言葉によって苦しむ人もいるかもしれません。



「男らしい」という言葉があるせいで、「男はこうあらなければいけない」と思ってしまい、自分の心をだましてしまっている人もたくさんいると思います。





でも、それって「男らしい」のが好きな人をないがしろにしていますよね。



人によって男らしいの定義は違うと思いますが、自分が男である事を誇りに思っている人もいるでしょうし、逆に女性であることに喜びを感じている人もたくさんいると思います。





男らしいとか女性らしいとか、そういった言葉を使うのが駄目なんじゃなくて、それを誰かに押し付けるのが駄目なんだと思います。


つまり、「男らしいとか言わんほうがええねんで」っていうのも、その価値観を押し付けていることになります。





もちろん、「男らしい」という言葉で傷つく方もいらっしゃるので、使い方には気を付けないといけないかもしれません。




大切なのは誰が悪いとか、何を言ったら駄目とかじゃなくて、自分の性に関する価値観なんて人それぞれなんやからそれぞれ認めていこうよって事だと思います。




教科書に「異性の尊重」と書かれてあることさえ微妙な世の中になってしまっていますが、生物学的に男性と女性とじゃ体の変化が違うのでそれはそれぞれ知っておく必要があると思います。



その上で、心の性については別で考えていく必要があると思います。



ってかそもそも心の性という発想自体がナンセンスなのかもしれないですね。



心の性も何も、人はそれぞれ、自分は自分やし。





「性に関する発言はタブー」という時代に流れるだけ流れて正義感を振りかざすんじゃなくて、人はそれぞれ違うんやからみんなでみんなを認めていこうぜって社会になればいいのにな。