明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

提案し、理由を語ることで初めて選択できるようになる

先日、「先生だって完璧じゃない」という記事を書きました。



もちろん、僕も完璧じゃありません。



ごはんもすぐこぼすし、部屋の片付けとか苦手やし、できないことだってたくさんあります。



そんな僕が子どもに「キレイにごはん食べなさい」なんて指導すれば、ブーメラン刺さりまくりですよね。






僕は教育現場で「~しなさい」と言ったことがありません。



もしかしたら言ったことあるかもしれませんが、多分言ったことはありません。



できるだけ生徒に向かって上からの目線でものを言わないようにしています。



心がけている言い方は、「~した方がいいと思うで」って感じで提案する言い方です。






もちろん挨拶であったり敬語であったり、世の中でできなければいけないことはたくさんあり、それができていないのならば彼らに指導する必要があると思います。



ただ、上からの圧力で彼らに聞かせた所で、「なぜ」それをしなければいけないかを理解しなければ日常生活に繋がる指導になりません。



彼らに「させる」のではなく、自ら「する」ことを選択しなければいけないのです。



だから僕らは彼らに意味を語り、提案する事によって彼らが自らその行動をするように仕向けないといけません。




先日剣道の授業の最初の授業で


「剣道とかスポーツって、礼に始まり礼に終わるって言われてるけど、なんで挨拶ってしなあかんのやとおもう?法律とか校則で決まってる訳じゃないのに、何でやと思う?」


と聞いてみました。



すると、全員が


「分からない」


と答えました。




これを答えられるようにならないといけないのだと思います。



なぜ挨拶をするのか、なぜ敬語を使うのか、なぜ靴を揃えるのか?



彼らはこれらの意味を理解してやっと、その行動をするか、しないかの選択をします。



もちろん、そこでどちらの選択をするのかは彼ら次第です。



馬を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできません。



これと一緒で、彼らに提案することはできても、させることはできません。





僕らは、彼らがこの水を飲むか、飲まないかの選択ができる所までは連れて行かなければ行けません。



そのために、上からにならず、偉そうにならず、彼らに意味を語り、提案し続けます。