キングコング西野さんの書籍、『ゴミ人間』に、商品と作品の違いについて書かれていました。
商品は、お客様のニーズに合わせてものを作ったもの、作品は自分の作りたいものを作ったものだそうです。
また、マーケティングにおいても商品と作品は違って、商品についてマーケティングするときは作る前に誰にニーズがあるのかを調査する、作品についてマーケティングをするときは作ってからどのようにすれば多くの人に届くかを調査するそうです。
西野さんは、自分が作るものを絶対に商品にはせず、自分の作りたいものを作るというこだわりがあるそうです。
さて、今日も話を教育について落とし込んで考えてみます。
僕らが提供している"教育"というものはこのどちらなのでしょうか?
どちらかに100%偏っているという訳ではないと思うのですが、皆さんはどちらだと考えますか?
教育は、子どものニーズを調査して、それに合わせて提供するもの?
教育は、とりあえず自分のやりたいことをとりあえず構築して、それをどのように伝えるか考えるもの?
一昔前の教育であれば、教育は万振りで作品寄りだったと思うのですが、最近はだんだんと商品へとシフトしてきているように思います。
もちろん、学習指導要領によって全員に教えなければいけない事は決められているし、教育の目的は「人格の完成」だと法律によって定められており、その目標に向かってどのようにすればいいのかを試行錯誤する必要があるためやはり作品であるという考え方は拭いきれません。
しかし、最近言われている「個別最適化」は、「子ども一人一人の能力やニーズに合わせて」という考え方です。
この考え方でいくと、教育は専ら商品であるという事ができると思います。
では、教育とはどちらであるべきでしょうか?
また、どのくらいの割合であるべきでしょうか?
子どもが学校教育で向かう先が「人格の完成」である点は間違っていないと思いますし、子どもの自立を目指す、子どもが社会で生き残っていける能力を身につける事ももちろん必要です。
その一方で、子どもの将来の役に立たない事を提供してしまっている部分が非常に多いと思います。
日本付近の海流の種類、2次関数、アルコールランプの使い方、漢文、仮定法過去完了、跳び箱、魔王、彫刻刀の使い方、まつり縫い、2進法など。
これらのことを僕らの作品として、つまり僕らのエゴで子どもに提供してしまっている、押し付けてしまっている現状があると思います。
別に、知らなくたって、できなかったって将来困る事は無いんです。
ただ、どうやったらできるのかとか、どのように考えたら効率が良いのかとか、目標に向かう過程においては子どもの将来に役立つ能力を身につけるチャンスが山ほど転がっていると思います。
僕は教育の中で、作品である部分をはっきりさせ、商品である部分を増やして柔軟にする必要があると思います。
つまり、教育の中でやらないといけない事をはっきりさせ、子どもが選択できるぶぶんをもっと増やす必要があるんじゃないかなと考えました。