今、跳び箱の授業を『学び合い』で実践しています。
やり方はセオリー通り。
準備して、最初に前回の授業を踏まえてどのような活動をして欲しいのかという僕の願いを語り、準備体操から最後の片付けまで子どもに任せて、最後に今日の授業の様子を評価する。
子どもたちは子どもたち同士で、僕が教えるよりもはるかに優秀な活動をしています。
どのように着手すればいいのか、ロイター板のどこで踏み切ればいいのか、どんなイメージで飛べばいいのかなど。
そんな活動を通して初めて成功した時の子どもの表情は本当に感動ものです。
そんな彼らの活動を見ながら、「どう指導すれば、跳び箱が飛べない子が飛べるようになるのか?」を考えていました。
同僚の先生方にお聞きすると、皆さん丁寧に「こんな指導をすればいいよ」とか「こんな練習法があるよ」とか教えてくださいます。
なるほど、と僕は思います。
しかし、次回からそれを実践してみようと一瞬考えた僕の思考にブレーキがかかります。
「成功させる事が目的なのか?」
答えは否です。
確かに、成功した時の子どもの表情は素晴らしいし、その顔を見たいという気持ちもあるし、どんどん技ができるようになってほしいとも思います。
でも、それ以上に大切なのは、成功するまでに子どもがどのように考え、どのように取り組み、どのように考えるかだと思うんです。
もちろん成功するに越したことはないです。
しかし、その方策を教師が教え、子どもが実践して成功する経験を積み重ねてしまえば、子どもは自ら考えなくなってしまいます。
まぁ考えなくなる、は言い過ぎかもしれませんが、考える余地を狭くしてしまっているのは事実です。
困ったときに自分はどのように試行錯誤すればよいのか。
それを考える能力は彼らが社会に出たときに役立ちます。
きっと、この文章を見て「やっぱり成功体験を積み重ねることが大事じゃないか?」と考える先生もいらっしゃいますし、「じゃあ成功するかどうかはいいのか?」と考える先生もいらっしゃると思います。
もちろん、仕事でも受験でも結果が全てなので彼らには結果を出して欲しいのですが、これは体育の授業をする上でどこに重きを置いているかという所がポイントだと思います。
僕は、目標に向かうためにどのように試行錯誤するのかというところ、評価の観点で言うと「思考・判断・表現」のところに重きを置いています。
技を成功させたいと思う方は、技能に重きをおいていると思います。
そこは教師の裁量にまかされていますので、どちらがいい、悪いということではありません。
そうやっていろんな価値観の方と意見を付き合わせて、自分の視野をもっと広げていきたいです。