明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

何かに没頭することが苦手な乾けない世代

今の30代以下の世代は、“乾けない世代”と呼ばれているそうです。




乾けない世代とは、生れたときから欲しいものがすぐに手に入る人々の事で、何かを求めればすぐに手に入ってしまいます。




食べ物、娯楽、情報など、高望みさえしなければ欲しいものは大抵すぐに手に入ります。




だから、何かを手に入れたときや成し遂げたときの達成感という物をほとんど味わっていません。




また、SNSの普及により次から次へと情報や娯楽が手に入ってしまうので、1つの事に熱中する経験がし辛いです。




詳しくは、尾原和啓さんの著書『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書』をお読みいただくと書いてあるのですが、なんせ今の世の中にはモノがあふれ、簡単に欲しいものが手に入ってしまいます。






最近、朝井リョウさんの『武道館』という小説を読んでいるのですが、その中の一節で



「この中で一番、が、ない。」



という言葉が気になりました。






一昔前は、音楽を聞くにはラジオで流れてくるとか、テレビで放送されるのを待つか、CDを買うか、ライブに行くかでした。




いずれにせよ、自分の聞きたい音楽を聞くには労力とか時間とか、少なからず何かしらの努力を必要としました。




しかし今は、検索バーに聞きたい音楽のタイトルを打ち込むだけで、簡単に自分の求める音楽を聞くことができます。




簡単に手に入ることは便利ではあるのですが、手に入れたものに対しての情熱がわいてくる感じがあまりしません。




頑張ってアルバイトして、やっとCDを手に入れ「やっとこの曲を手に入れたんだ!!」と思えたのが、今や「あー、やっぱいい曲やな」ぐらいのテンションになってしまいます。




無料で簡単に手に入れたものは、あんまり自分の好みじゃなかったとしてもその曲をすぐに捨てることができるし、いい曲だったとしても「いい曲見つけた、ラッキー」ぐらいの感覚になってしまいます。






簡単にいろんなモノに手を出せるようになりましたが、その分一つ一つモノに注ぐ情熱の量は分散されてしまいます。




自分の中にあるいろんな趣味が自分からなんとなくの距離に等間隔にある、つまり一番好きなものと言われても答えることができないんです。






SNSが普及した中、子どもたちはそんな社会で生きていくことになります。




まぁ中学生はすでにスマホを持っている人も多いので、すでにそんな社会で生きている事になりますね。




そんな中彼らは何かに「没頭」する事ができるかが、社会で生き残っていくために必要な能力だと思います。






今は選ばなければ就職も簡単にできてしまう世の中ですが、なんとなくで選んだ仕事は没頭することができず、変化の速い社会の中で淘汰されて行ってしまいます。




次の職もなんとなくで決め、なんとなくやめ、、、




そうやっていると「自分は何のために働いているのだろうか?」と考える子が出てきても不思議ではないですよね。






自分の好きな仕事、自分の目指す社会、自分の夢に向かって仕事をすることができれば、世の中が変化しようと自分自身が成長を続け、荒波にも耐えられるかもしれません。




つまり、自分が没頭できる仕事を見つければ彼らは生き残って行ける可能性は高まると思います。







自分が欲しいと思ったものを簡単に手に入れることができる「乾けない世代」の人間こそ、モノにあふれた社会の中で没頭できる何かを見つけなければいけません。




「多様性」とか「個別最適化」とか言われていますが、結局は全員に一斉に同じことを教え、受験競争という競争に巻き込み、一人一人の個性や趣味を削っていってはいませんか?




僕ら教員は一人ひとりの違いを認め、彼らが没頭できる何かを応援する、また没頭できる何かを見つけるお手伝いをすることが本当のお仕事なのかもしれません。

 

 

 

 

 

かくいう僕自身も乾けない世代なので、ぜひ自分がもっと没頭できる何かをこれから見つけていきたいなと思います。