『非営利組織の経営』という書籍を読んでいます。
前々から読もうと思っていたのですが、高いのとあんまりおいていないのとを理由に買っていませんでした。
まぁ難しそうだからと避けていただけかもしれませんが。
さて、学校も言わずもがな非営利組織です。
この本には、非営利組織のリーダーのふるまいとかマネジメントの方法とかが書かれています。
学校におけるリーダーは校長や教頭ですが、各教師が担任を持っていたり教科をつかさどっているため、全教師が生徒にとってのリーダーという事もできると思います。
まだまだ読み始めですし、読み込まないと内容がなかなか入ってきそうにないので、とりあえず僕が思う教師の在り方について書いていこうと考えています。
結論から言えば、学校での理想は「先生がいなくても生徒だけでなんでもできる状態」だと思っています。
逆に言えば、先生がいないと荒れてしまう学級の生徒は、本当に先生がいない状態、つまり卒業してしまえば先生というストッパーが外れてしまうため、社会で暴れてしまいます。
指導する上で大切なのは、生徒が自分で何をすれば自分にとって得なのかを理解させることだと思います。
挨拶の指導にしても、「挨拶しろ!!!」と怒鳴って挨拶をさせたところで、学校にいる間やその先生の前だけでは挨拶するようになるかもしれませんが、挨拶をなぜしなければいけないかを理解していないため、卒業してから挨拶ができない大人になっていしまいます。
そうではなく、挨拶をする意味について生徒にしっかりと語り、生徒がしっかりと意味を理解すればその挨拶は持続的なものになり、形だけのものではなくなっていると思います。
いじめなんかについてもそうです。
「何してるんだ!」と怒鳴って生徒のいじめを抑制したつもりでも、その生徒はいじめをすることが自分にとって得だと思っていじめをしているため、先生のいないところでいじめを継続する可能性が高いと思います。
だって、いじめをするのはよくないことってみんな知ってますよね。その上でいじめてるんですから。まぁそうじゃない場合もあるかもしれませんが。
いずれにせよ、いじめをするのが自分にとって損である事を彼らに理解させることが、いじめの継続を阻止する方法だと思います。
もっと言えば、いじめを第三者がやめさせることが得である事を彼らに理解させる必要があると思います。
道徳という言葉がありますが、"徳"ではなく"得"でいいと思います。
徳なことは全部得なんですから。
むしろ、徳であることを「人として当たり前なんだからやれ!」と言うより、徳であることが得だと言う理由をしっかりと説明してあげる方が、徳であることを続ける理由になると思いませんか?
そうやって人を育て、一人でできるようになる事、つまり自立を促す事が教員の役割だと思います。
『非営利組織の経営』とは話がそれてしまいましたが、僕のこの教育における価値観とも照らし合わせながら、この書籍を読んでいきたいと思います。