当たり前を疑う。
これってものすごく大事なことだと思います。
「これってやるのが当たり前だから」
「これはいままでやっていたから」
「これはやるものだから」
そういった言葉は人間が考えるという余地を奪っていってしまいます。
学校の中でもそんな当たり前は多くあります。
その一つに、授業前の挨拶があります。
「お願いします」
本当に先生に授業をしてくださいお願いしますとおもっている人はどのくらいいるのでしょうか?
しかも、挨拶をしない生徒に対して
「ちゃんと挨拶をしろ!!」
と指導することもしばしばあると思います。
頼んでもないことをやっているのに、「お願いします」と言わなければならない生徒に対して「挨拶をしろ」というのは、生徒になぜ挨拶をするかという事を考える余地を奪ってしまっている気がします。
じゃあ、なんで挨拶ってするのでしょうか?
この、挨拶の話をブログにしようと思ったのは、Youtubeでキングコングの西野さんのラジオを聞いてからです。
お時間がある方は聞いてみるといいと思います。
挨拶はコミュニケーションの第一歩と言われますよね?
これって本当にその通りで、
挨拶をしたのに返ってこない人に対して、その後また話しかけようと思いますか?
その人が好きとか、構ってほしいとかそういったのを除いて、そんな人に次もう一度話しかけることってもうほとんどないと思います。
だって、また無視されるかもしれないというリスクを背負うことになるのですから。
逆に、挨拶をただ返すだけ(返すにもレベルはあると思いますが)でも、人とのその後のコミュニケーションは少しでも円滑になると思います。
こう考えると仲間を増やそうと思ったら、そのほとんどが挨拶で決まってしまうと思っても過言ではありませんよね。
さて、そんな挨拶を形式的にやる意味ってあるのでしょうか?
そもそもあらゆることに対して形式的なことって必要なのでしょうか?
日本は礼に始まって礼に終わるという文化があったり形式を重んじる文化があったりしますが、「それはやるものだから」といって形式的な事を何も考えずにやってしまっては何も生まれませんし、成長することもできません。
何事にも、行動することには目的があるはずです。
そういったことは日本ではものすごく多いと思いますので、まずは挨拶をするという事からもう一度考え直し、形式ではなくちゃんと意味を理解して行う事で、学校でもよく言われる「気持ちのいい挨拶」ができるのではないでしょうか?