明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

行けばだいたい誰かがいて、なんとなく心地がいい空間

先週は新人戦がある週で、平日の部活動の休みの日が無かったため、その振替でこの土日は両方部活動をお休みにしました。

 

土日のどちらかに部活動が入っているのが当たり前になると、こうして土日完全にお休みの週は「お、明日も休みか。今週の休みは長いな~」と謎の充実感で満たされます。

 

本来はこれが普通のはずなんですけどね。

 

 

さて、そんな土日ですが、小説を読んで過ごしています。

 

かといって、お休みの日に家にいるのもなんか違う。

 

だからどこかへ出かけて小説を読んでいました。

 

タリーズに行ったり、ミスドに行ったり、マクドにいったり、海に車を泊めて読んだり。

 

海で読むのは窓を開けていてもまだまだ暑く、暑がりの僕はすぐに断念してしまいましたが、、、。

 

今も近所のミスドでこうしてブログを書いたり小説を読んだりしています。

 

 

大学院生の時は、カフェに行く事もあったんですが、多くの時間はゼミ室で過ごしていました。

 

研究もしていましたが、本を読んだり友達と話したり、何をするわけでなくてもゼミ室にいました。

 

なんか分からないことがあれば近くの人に聞くことができるし、勉強に飽きて気分転換がしたいときは近くの人と話をすればいいし、おなかが減ったときは近くの人を誘えばいいし。

 

しかもタダやし。(使用料としては学費から支払われているから実質両親にお金を払ってもらっていたと考えると感謝しないと、、、。)

 

 

とりあえず場所があって、近くに友達がいて、かといって別にその友達に用事は無くて、それぞれ自分の事をしているけど何かがあればすぐに仲間に声をかけられる場所があのゼミ室でした。

 

そのゼミ室はちょっと特殊で、別のゼミ生の座席もあって、別のゼミの人の意見も取り入れることができて自分の視野が広がったし、何よりあの仕組みのおかげで僕の友人関係も広がったと思っています。

 

 

行かなくてはいけない場所ではないけど、行けばだいたいは誰かがいて、なんとなく心地がいい空間。

 

あ、きっとこれが西川先生が度々言っている地元の公民館に集まってなんやらかんやらってことなんやろうな。

 

そんな場所を作るのが教員の役割じゃないだろうか。または僕の役割なんじゃないだろうか。

 

 

コロナが流行しだした頃、僕らのゼミではオンライン上にそのような場所を作ろうとしましたが、なかなかうまくいきませんでした。リアルな空間じゃないからか、入ってくる人が多様すぎたからか、理由はわかりません。オンライン上での空間はどこか安心感が欠けていたなぁと思います。

 

あれがVRとかやったらまた別なんかな。

 

 

 

まだまだふわっとしか思いついていませんが、この2日間で僕がやりたいことがもう一つできた気がしました。