俳優の伊藤健太郎さんのひき逃げ事件が多くのニュースで流れましたね。
伊藤さんが釈放され、報道陣に向けた謝罪の言葉がこちら
このたびは、自分が起こしてしまった事故のせいで、たくさんの方々にご迷惑をおかけしたことを深く反省しております。申し訳ありませんでした。そして、自分のせいでケガをしてしまった被害者の方々にも、これから、僕自身、一生かけて償っていきたいと思っていますし、これからどのように償っていくべきか、しっかり向き合って考えていきたいと思っています。このたびは本当に申し訳ありませんでした。失礼します
このコメントについて、多くの人が違和感を感じたというコメントも寄せられています。
僕も、多くの人と同じように違和感を感じました。
どこに違和感があるかって、「一生かけて償っていく」ってところです。
タレントの南美希子さんは、テレビでこんなことを言っていました。
厳しいことを言わせてもらうと、『一生かけて償います』という一言に、私は強烈な違和感があったんです。たぶん、大人が言わせているのではないかなと思います」と推測した。その上で、「問題は彼がその場から立ち去ったこと。いさめられて戻って、いろんな報道を見ると、ただ戻って立ちすくむだけで何もしなかった。本来なら、そこで被害者に駆け寄って『一生かけて償いますから、申し訳ありません』と、そこで言うべきせりふ。
引用:https://news.livedoor.com/article/detail/19156952/
伊藤さんは、車をバイクにぶつけてしまった後逃走しましたが、後方の車にクラクション等で現場に戻されました。
しかし、現場に戻っても被害者の方に声をかけることもなく、誰かと電話で話していたという事です、
多分、これが原因なんでしょうね。
もし伊藤さんが人をひいてしまったとしても、その後の対応が良ければここまでの批判はなかったと思いますし、むしろ「誠実な人なんだな」というイメージがついたかもしれません。
しかし、それをしなかった。
だから、こうして大きな事件になってしまったわけです。
車を運転していれば、誰しも事故を起こしてしまう可能性はあります。
でも、大事なのはその後だと思うんです。
後じゃだけじゃないか、その前もですね。
普段どうやって人と接しているのか、もし失敗してしまった時にその後どうやって対応するのか。
それ次第でその失敗がこれからの自分にとってプラスになるのかマイナスになるのかが決まってきます。
今回の伊藤さんの場合、あのコメントに多くの批判が集まっていますが、その原因として普段の行いがあまり良くなかったことが挙げられます。
ああいった事件になってしまったからマイナスな所が大きく取り上げられてしまっている可能性はありますが、”天狗になってしまっていた”といったコメントは多く見られました。
それを踏まえてあの「一生をかけて」という言葉が軽く聞こえてしまったんですかね。
失敗は、失敗した瞬間よりも大事なのはその前後だと思います。
誰しも失敗する可能性はあります。
その失敗をプラスにするのか、マイナスにするのか。
それは普段から誠実に過ごしているかが大切なんですね。