明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

Facebookにちゃんと投稿できていなかったことで学んだこと

このブログは、Facebookツイッターでリンク付きで投稿しているのですが、いつのまにかFacebookの公開設定が「自分だけ」という設定になってしまっていました。

 

 

このブログとTwitterでは毎日投稿し続けているのですが、Facebookではある日から僕の存在が消えてしまっていました。

 

 

なぜこんなことになってしまっていたのかはわかりませんが、毎日やっていただけにそれが長期間できていなかったのはショックでした。

 

 

Facebookのコメントでは「急に投稿が終わったからどうしたんかと思った」と友達や後輩からコメントが来ていました。

 

 

そのコメントを見て、「あぁ、気にしてくれてたんやな」とちょっと嬉しくなりました。

 

 

僕のFacebookでの投稿ができていなかったことに気付いたのも、ある日から誰からも「いいね」が来なくなった事が要因です。

 

 

急激に世間から嫌われたのかと心配しましたが、そんなわけはないと思って調べてみたら投稿の設定が変わっていました。

 

 

 

 

逆に、気付くのが遅かったのは僕がこの「いいね」にこだわっていた証拠だと思うんですね。

 

 

別に、「いいね」が増えようと減ろうと勝手に投稿してるだけやし、むしろ見てくれる人がおる事に感謝しないとと思い、「いいね」の数を意識的に意識しないようにしていました。

 

 

多分、ここが問題やったんですね。

 

 

意識的に意識しないという事は、結局意識してしまっているんです。

 

 

「最近いいねな来んな、、、。でも意識しないでおこう!」と意識してしまっていたが故に、異変に気付くのに遅れました。

 

 

 

 

思えば、なぜ意識しないようにしていたのかも謎です。

 

 

「いいね」って、やっぱりいい事かけたり世間からの共感を生むことができるような記事を書けたときは多いし、逆に大した記事がかけなかったときは少ないんです。

 

 

共感を生むことができれば、何も書いてなかったとしても「結婚しました」ってFacebookのプロフィールを更新しただけの投稿には多くのいいねがついているように、多くの人から反応してもらえます。

 

 

「いいね」だけじゃなくて、Twitterのお気に入りとかリツイートとか、このはてなブログアクセス解析だってどんどん活用した方がいいんです。

 

 

見てくれる人が多いという事は、多くの人に共感していただいたり有益な情報を発信できている証拠なんですから。

 

 

 

Facebookに思ったように投稿できていなかったことをきっかけに

 

①意識しないように意識することは、結局は意識してしまっている事

②人から反応は積極的に参考にすべきだという事

③結局、人から反応されることは嬉しいという事

 

の3つを学びました。

 

 

やっぱり「いいね」がつかないのは寂しかったし「いいね」が増えたりコメントがきたりすると、誰かに見てもらっていることを実感できるから嬉しいものなんですね。

 

 

「俺は勝手にやってるんだ」という謎のプライドはさっさとごみ箱に捨ててしまいましょう。