公立の学校が生き残る術

最近、N校がS校を発表したり、世間のオンラインに対する抵抗がなくなってきたり(もはや身近なものになったともいえるのではないでしょうか)、オンライン授業やオンデマンドの授業も非常に充実してきたりと、従来の学校よりも効率のいい学習スタイルが確立されるようになってきています。

 

別のゼミの院生も、オンラインで高校生と大学生をつないで小論文の書き方の練習をしたりと校種を超えての交流も盛んになってきました。

 

 

しかし、普通の公立学校は文科省や各自治体が管轄し、長い歴史と共に今のスタイルが確立されてきたため、世間の変化に対応できずいまだwi-fiの完備すらされていない学校も多くあります。

 

 

私立の学校の学費もだんだんと安価になってきていることもあり、このままでは公立の学校は私立の学校に淘汰されてしまうのではないかという話もよぎってきます。

 

 

 

このまま、公立の学校はやられてしまうのでしょうか、、、。

 

 

 

僕はそんなことは無いと思っています。

 

公立の学校にだっていいところはあります。

 

特にいいと思うところは

 

①地域の友人と生でつながれる所

②地域の社会と身近につながれる所

③予算、施設がある程度割り当てられている所。

 

です。

 

③については完全にイメージで話をしてしまっていますが、①、②に関しては公立ならではのことだと僕は思っています。

 

要するにポイントは"地域社会"です。

 

公立の学校は

 

「同じ地域に、同じ年に生まれた子どもが集まる箱」

 

ですよね?

 

これって、子どもに選択の余地がなく窮屈な思いをさせられているとも捉えることもできると思うのですが、地域の子どもが一斉に集まる所ってそうそうないと思うんです。

 

そこで子どもたちがつながり、将来この街に残って仕事がしたいと思うようになれば、地域の活性化にもつながるはずです。

 

 

 

また、トランザクティブメモリーという考え方があります。

 

「トランザクティブ・メモリー」(Transactive memory)とは、1980年代半ばに米ハーバード大学社会心理学者、ダニエル・ウェグナ―が唱えた組織学習に関する概念で、日本語では「交換記憶」あるいは「対人交流的記憶」「越境する記憶」などと訳されます。組織学習の一つの側面である組織の記憶力(経験によって学習した情報の蓄積)において重要なのは、組織全体が「同じ知識を記憶すること」ではなく、「組織内で『誰が何を知っているか』を把握すること」である、という考え方です。

https://jinjibu.jp/keyword/detl/607/より。

 

 

組織内で、誰が何をしっているかを把握すること。

 

それはこれからの社会で生き残っていくためには必要な事で、もし学校の中でこのトランザクティブメモリーを構築することができていたなら、社会に出て何か困ったことがあるとき、助けてほしいことがある時にその組織の中にいた人に助けを求めることができます。

 

 

例えば、ある飲み会でのこと

 

A「失業してしまった 、、、どうしよう、、、」

B「あ、そういえば中学校で同じクラスやったCがいま○○って会社で働いてるんやけど、そいつの会社で人足りてないって言うてたからつなげてみようか?」

A「まじか!!!!頼む!!!!」

 

なんてことができるんですよ。

 

これからは20年に1回倒産を経験する時代ですからね。

 

 

 

さて、このトランザクティブメモリーは、生で顔を合わせての交流が必要だと言われています。

 

確かに、オンライン授業等で子どもを交流させることはできると思いますが、N高のような学校が顔を合わせて交流することは難しいと思います。

 

広域通信制の規模が巨大になって、地域で広域通信制のコミュニティができれば話は別ですが。そしてその日はもう遠くないのかもしれない、、、

 

 

 

地域社会との交流に関しても一緒ですが、ああやって生で地域の子どもが集まるという仕組みを利用しないと、公立の学校はすぐにでも淘汰されてしまいます。

 

僕は、そうやって育った子どもが温かい地域を作る将来にワクワクしますし、そんな地域に住みたいなと思います。