明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

授業でやったことは日常生活で活かせるのか

僕は保健体育の教師なのですが、体育よりもどりらかというと保健の授業の方が大事にしたいと考えています。跳び箱跳べなくても、バレーのサーブができなくても彼らは将来困ることはありませんが、健康にいきていくことができなければ彼らは確実に将来困ります。

だから体育より保健の方が大事なんです。

道徳についても、人生において必ず必要になってきます。

だから、この2つの教科は特に大事にしたいと考えているのですが(道徳に関しては教科にするという所がそもそも疑問を感じている所ですが・・・)、大事になってくるのは授業でやったことをどうやって日常生活に活かせるかということです。



授業の中で確実に彼らは保健について学んでいますが、ただれが授業が終わって日常生活に戻った時にそれを意識しながら生活できるかと言われると疑問が残ってしまいました。

授業の事は授業の事で、今回はプリントの課題について学びましたが、他の事例にそれをあてはめられるかと言われると結構難しいんじゃないかと思いました。

保健って汎用性がありそうな教科なんですが、授業と現実では意外と境界線があって、授業が終わってしまえば生徒は別の世界で生きていくため、授業でやったことを忘れてしまうんじゃないかと思うんです。

日常生活で同じ場面に遭遇した時に先生が一度時間を止めて、「この時はどうすればいいでしょうか?」と授業でやっているようなことはできません。

そう考えると、授業でやったことを日常生活に活かすのって至難の業だなと思いました。



ただ、やっぱりどうせやるなら人生で活かせるような形でやりたい。食事の事、休養の事、保健制度の事、応急手当の事など本当に日常生活に必要なものが詰まっています。

一番は、日常生活の中で学ぶことなんですけどね。

顔を突き合わせてのコミュニケーションで業績が上がる

今日も、入山章栄さんの『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』を読んでの記事です。

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ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学 入山 章栄 https://www.amazon.co.jp/dp/4822279324/ref=cm_sw_r_tw_dp_X5WXS5WRRGXR10CQCDAB


トランザクティブ・メモリーってご存じですか?

トランザクティブ・メモリーとは、「組織の中の誰が何を知っているかを組織全体が知っている」ということです。

ここでポイントとなる所は「組織の中の情報を全員が共有している事」ではなく、「誰が、何を知っているか」という所です。

このトランザクティブ・メモリーが高い状態というのはつまり、組織としての記憶量が大きいという事になります。



会社の中で情報を共有しておくことが大事だという事も言われていますが、人間一人ひとりの記憶量には限界があります。多くの事を覚えれば覚えるほど他の事を覚える事ができなくなってしまいます。

しかし、「これに関連する情報はあいつが知ってるな」という状態にしておけばどうでしょうか?更に、その組織が多様な多様な人が集まっているとすればどうでしょうか?

組織としての記憶量を劇的にアップさせることができます。



このトランザクティブ・メモリーが高い企業は、いい業績を残しているということが研究でも明らかにされているそうです。



トランザクティブ・メモリーを高めるには顔を突き合わせてのコミュニケーションが必要になるそうです。

カップルに共同作業をしてもらう実験で
①顔を見ずに電話だけでコミュニケーションをとる
②顔を見て文通だけでコミュニケーションをとる
③顔を見て会話もできる
の3つに分けた実験があります。

この中で一番パフォーマンスが低かったカップルは①のカップルだったそうです。また、②のカップルと③のカップルのパフォーマンスは変わらなかったそうです。

この結果を見て研究者であるホリングスヘッドさんは、アイコンタクトや顔の表情を通じてのコミュニケーションがトランザクティブ・メモリーを高める事を主張しました。


皆さんの職場や所属している集団では、顔を突き合わせてのコミュニケーションは取れていますか?

例えば、最近では喫煙所が無くなってきていますが、喫煙所で部署とか関係なく一緒の会社の人と顔を突き合わせて会話をすることって、このトランザクティブ・メモリーを高めるのには非常に有効な事でした。

僕の職場にはお茶のみ場があって、そこで休憩しながら同僚の先生とお話をさせていただくことが結構あるのですが、あそこの場があるからこそ仕事で困ったときに誰に、何を頼んだらいいかということがすぐに出てくるんだと思います。



普段から顔を突き合わせてコミュニケーションをとることは、組織のトランザクティブ・メモリーを高め、企業の業績にも大きく関わってきます。

最近では同じ部屋にいるのにパーテーションで仕切られ、メッセージで連絡をとるといった会社もありますが、それではお互いの事を知ることはできませんよね。

やはり、普段から積極的にコミュニケーションを取ることは非常に大切な事のようですね。




最近ではオンラインミーティングで遠隔でも顔を見ながら話をすることができますが、今後はそういった状況でもトランザクティブ・メモリーは向上するのかといった研究も出てくるのでしょうか?

弱いつながりは創造力を強くする

弱いつながりは創造性を強くするってご存じですか?

 

そもそも創造性とは言うまでもなく新しい何かを生み出す事で、そのために必要なのは0から何かを生む力ではなく、今まで無かったものを組み合わせる力です。そもそも人間はゼロから何かを生み出すことはできません。よって、既存にあるもので新しい組み合わせを構築する事が創造するという事になります。

 

最近はカフェオレとカレーの組み合わせとかもあるそうですが、、、。

 

 

次に、弱い繋がりについてです。

 

これはマークグラノヴェッターさんが提唱したもので、弱いつながりとは名刺を交換してメールをするぐらいのいわば“知り合い”ぐらいの関係で、強いつながりとは俗にいう親友とかそういった繋がりの事を言います。

 

この弱いつながりをたくさん持っている人のの方が創造性は生みやすいそうです。

その理由は2つあります。

 

1つめは、弱い繋がりは情報が重複する事が少ないからです。相手が親密になればなるほど相手が持っている情報を自分が持っている可能性がありますよね。結果、新しい組み合わせができにくいんです。

 

2つめは、弱いネットワークは簡単に作る事ができます。強いつながりは時間をこそできるんですが、弱いネットワークは名刺やメールを交換するだけで構築することができるのでどんどん作ることができます。

 

 

最近は、クリエイティビティとかイノベーションとかそういった言葉が多く出てきますが、これからの時代を生き残るためにはこの創造性は武器の1つとして威力を発揮するものだと思います。

 

そして、現代は創造性を生み出すための弱いつながりは非常に構築しやすい環境だと言えると思います。その理由はもちろんSNSの普及です。

 

Facebook、インスタ、Twitter等のSNSがありますが、これらのSNSはボタンを1回押すだけでとりあえず繋がっておくことができます。必要に応じてそのとりあえず繋がっている人と連絡を取って、効果的でありそうならば連絡をそこから密に取ることだってできます。

 

なんと効率のいい世の中でしょう。

 

 

それを活用しているのがN高です、N高には2万人を誇る生徒数がいるそうですが、その中から自分の趣味に合った人と簡単に繋がることができるし、逆にそういった人を募集すれば人が簡単に集まってくるでしょう。

 

N高は新しい事に常にチャレンジしていますが、つながりを簡単に作ることができるという点でも創造性を発揮しやすい環境と言えますよね。

 

 

今日のブログは、入山章栄さんの『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』を基に書きました。

 

 

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ビジネススクールでは学べない 世界最先端の経営学 入山 章栄 https://www.amazon.co.jp/dp/4822279324/ref=cm_sw_r_tw_dp_KKHKDXSYD8XC2AFZ09RM

 

就職はとりあえずではすまない

「とりあえず就職しよう」

そう考える高校生、大学生ってどれくらいいるのでしょうか?僕は結構いると思ってます。

それがなぜかというと、毎年新規大卒就職者の3割以上が3年以内に離職しているというデータがあるからです。

新規学卒者の離職状況(厚生労働省より)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000137940.html

大卒は若干低い傾向がありますが、短大卒と高卒ではほとんど変わらないことも分かります。

規模が大きい会社の方が離職率は低いようですね。



これを多いととらえるとか少ないと捉えるかは人によると思いますし、この中には積極的な転職をされている方もいらっしゃると思います。

しかし、僕はこの数字は多いと思います。

30人学級の教室で考えると、クラスの10人が3年以内に離職しているという事になります。こう考えると明らかに多いですよね。



ここで大事なのは、「あぁ、そんなにいるんだ」と感じで終わる事ではなく、じゃあどうやったらその離職者を減らせるかを考えるということです。

この離職者の方々の理由って何なのでしょうか?



大きな理由として挙げられるのは、まずは“人間関係”ではないでしょうか。

いくら自分のやりたい職業だったとしても職場の雰囲気が合わなかったり、職場に合わない同僚がいるとなかなか仕事を続けることは難しいと思います。

教員なんかまさにそうですよね。

目をギラギラ輝かせて「子どものたちのためにがんばるんだ!」と考えていたのに初任研の先生や管理職につぶされて泣く泣く退職、、、なんて人は全国にたくさんいます。

Twitterで調べればその状況が一目でわかります。



そしてもう一つが、“お金のためにとりあえず就職した”という人です。

就職したはいいけど別にやりたい仕事じゃないし、学生時代にやってたアルバイトより責任重たいしなんかしんどい、、、。

そんな感じですかね?

いまでとりあえずで過ごしてきた人はなかなか仕事を続けることもしんどいと思います。



とりあえず行ける一番偏差値の高い高校に進学する。とりあえず大学に進学する。とりあえず仕事せなあかんから進学する。

全て同じとりあえずですが、仕事だけは一筋縄ではいきません。

高校は相当な事が無ければ先生が頑張って卒業させようとしてくれます。大学ではなんとなく出席してれば単位をくれます。他の時間はアルバイトするなり遊ぶなり自由にしてたらいいんです。

でも、仕事はなんとなくやってるだけじゃ退屈やししんどいし、使えないと判断されればクビにだってなります。

だから仕事はとりあえずじゃダメなんです。



でも、本当の意味でのキャリア教育(仕事をする目的であったり、仕事が人生においてどんな位置づけなのか等)ができていなければこういった人は続出してしまいます。

偏差値の高い学校に行って、安定した会社に入ることをほぼ全員に進めているのが現状だと思います。



働いたはいいけどすぐにやめてしまう人が新卒の3分の1という現状を打破するためにも、大切なのは本当の意味でのキャリア教育だと思いました。

合うか、合わないかはやってみないと分からない

僕は、大学院以降本を読むのが好きになりました。元々は西川先生から課題として出される「最初の5冊を読むこと」から始まりましたが、それ以降本を読むことの意味や、本を読むことの楽しさを理解し、読むようになりました。

 

教員になってから初めての夏休みでは、コロナ禍のためなかなか外出をすることができなかったため、それを機に小説を読むようになりました。小説にはなかなか手を出していなかったのですが、読んでみるとなかなか面白い。

 

最近は、ビジネス書や自己啓発本などの勉強系の本と、小説などの趣味の本を並行して読むようになりました。

 

 

 

ただ、いくら本が面白いと感じるようになったとしてもなかなか読むのが難しいと感じる本もあります。確かに読んでいるはずなんですが気付くと別のことを考えてしまい、ページが進んでいるのに読んだ内容を覚えていないといった現象が起きます。この現象ってなんか名前ついてないんかな。

 

先日、「『鹿の王』って小説面白いから絶対読んで!」恋人に紹介され、読んでいたのですがなかなか読むのが難しく、疲れてしまって100ページぐらいで挫折。世界観が難しかったり、出てくる言葉が難しかったり、覚える言葉が多かったり、場面がしょっちゅう変わったりと僕にはあの小説はまだ早いようです、、、。

 

小説だけじゃなくて他の勉強系の本でも同じように、勝手にページが進む現象がしょっちゅう起きる本があります。僕の興味から外れているのか、欲しい情報が書いていないのか、、、。

 

中には割と高い本があったりもするのですが、「なんでこの本買ったんやろうか・・・」と後悔することもあります。

 

逆に、気付いたら「え、もうこんなに進んでるん?」と思うほど熱中して読める本にも遭遇したりもします。

 

僕にとって面白くない本でも他の人が読んだら面白いというパターンはありますよね。今回例に挙げた『鹿の王』なんかはまさにです。

 

 

でも、それって結局読んでみるまで分からないんですよね。

 

音楽の趣味とか食べ物の趣味とかにもあるように、小説にも人によって趣味が違いますし、ビジネス書だって自分の求めているものと違ったりもします。

 

結局、その本が読みやすいかどうかって、読んでる本人にとってその本が合うかどうか、面白いかどうかってことなんですよね。

 

 

 

本に限らず、食べ物だって仕事だってやってみないと自分に合うか合わないかなんてわからない。だから、「自分のやりたいことは何だろう」って考える前に、自分の心が躍る方に動くことが大切なんだなと思いました。

 

 

 

最近僕が読み始めたのは原田マハさんの『楽園のカンヴァス』。『本日は、お日柄もよく』が僕の中で大ヒットして以降、原田マハさんの小説にははまりそうです。好きな映画の『ランウェイ☆ビート』も原田マハさんが原作だったんですね。

優秀な子どもより自立した大人

学校に通っている子どもが優等生と呼ばれるにはどうしたらいいのでしょうか?

いい成績をとる、積極的にリーダーに申し出る、問題行動を起こさない、ルールを守る。

こんな感じの子どもでしょうか?こんな生徒がいたらきっと間違いなく優等生と呼ばれるでしょう。

 

しかし、そんな優等生のいわばいい子ちゃんは社会で活躍できるのでしょうか?答えはNOだと思います。

もちろん、全員がNOだとは言えません。いい子ちゃん、エリート街道を突っ走って弁護士になる人、中には国家公務員になる人だっていると思います。

しかし、そんな人はエリート中のエリートであるほんの一握りであり、他のいい子ちゃんたちは社会で取り残されることになってしまいます。

 

先ほど挙げた優等生の条件というのは、言い換えると先生の言うことを忠実に聞き、先生に気に入られる人の事を言うのではないでしょうか?しかし、言うことを聞くだけの人であればそれはすでに社会で必要とされる人ではなくなっています。

言うことを忠実に聞くのは人間よりAIの方がはるかに優秀だからです。

いくら優等生だからって、記憶力とか処理速度とかそういったことでAIに勝る人はこの世に存在しません。人間を雇っていると人件費がかかってしまいますが、AIであれば初期投資とあとの維持費しかかかりません。

だから、企業にとって言うことを聞くだけの優等生を採用するメリットが無くなっているんです。

 

最近は、バブル期にできた終身雇用・年功序列といった制度もだんだんと崩壊してきています。結果に関わらずただ長く働くだけで給料が上がっていき、更に定年まで就職が保証されているといったこの制度は普通じゃありませんよね。

教員のように結果が目に見えて分かりにくい職業もあるかもしれませんが、それでもこの制度は正常ではないと思います。

それに気づき始めた企業が次々と終身雇用・年功序列を廃止し始めているんです。

 

では、結果を出せる人というのはどういった人なんでしょうか。


言うことを聞くだけじゃなくて、言われたことに問題意識を置いて主体的に解決できる人。

問題を解決する人じゃなくて、問題を見つけることができる人。

問題を起こさないようにする人ではなく、問題を見つけ出すために積極的に行動できる人。


こんな人が結果を出せるのではないでしょう?

 

最近求められている主体性とか、積極性とか、創造性とかはこういった理由があるんですね。

 

こんな時代で本当に求められている教育というのは、言うことを忠実に聞く優秀な子どもではなく、主体的に何かを想像できる自立した大人です。

西川研究室で僕が身に着けた力

ひっさびさに西川研究室での事を書きます。




最近僕は、「社会で生き残っていくにはどうしたらいいのか」「仕事はなんのためにしているのか」「人生の幸せとは何なのか」ということについて深く考えています。その僕なりの回答としては、先日書いたブログであったり、今後投稿していくブログで公開していこうと考えています。




僕が考える社会で生き残っていくために必要な能力は大きくは以下の3つです。

 

・主体性

・創造性

・コミュニケーション能力

 

他にも、ITスキルとか国際性とかそういった事もあればよりベターですが、社会で生きていくために全員が100%必要な能力というのはこの3つではないでしょうか?

 

じゃあどうしたらこの能力を育てることができるのか?という事を考える過程で、「あ、西川研究室でやっていた事と似ているな」と思うことが多かったんです。




私自身も確認するために、西川研究室のミッションを振り返ります。

 

「自分自身の心に響き、多くの人の心に響く、教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」

 

これが西川研究室のミッションです。改めて見ると「、」が多いなぁ、、、(笑)まぁだから、これを簡単にして「日本を変えろ」と先生はおっしゃっているのだと思いますが。



また、西川研究室を表す言葉として、1つは“『学び合い』”があるんですが、もう一つは“自由”だと言うことが挙げられます。

 

西川研究室では、先ほど書いたミッションに向かうためならどんな方法をとってもいいんですが、それをやるもやらないも自由なんです。





西川研究室の特徴としてはこんな感じでしょうか?それがなぜ、「社会で生き残っていくための能力」関わってくるのでしょうか?




僕がやってきたことを振り返ると、最初は「何かしたい」と考えて行動していました。本を書きたい、研究をしたい等。それらを西川先生に提案するたびに「面白くない」と突き返されてしまいます。

 

頑張って考えた事について度々「面白くない」と一言で一蹴されてしまう事には心が折れかけました。

 

そんな時に「ちょっと聞いてや~」というと、「じゃあ飲みに行こうか」と友達に居酒屋に誘われ、そこでたくさん愚痴ったりできたのは本当にありがたかったです。




「面白くない」と言われることについて自分で考えたり、友達に相談したり、そんなことを繰り返しているうちに段々とその「面白くない」の意味が分かってくるようになりました。

 

同じゼミの人が「ワクワクする」といった表現を使っていたのですが、まさにそのワクワクするかどうかが面白いかどうかという所で、その活動をすることで未来はどうなるのか、多くの人を助けることになるのか、日本の教育を変えることはできるのか。

 

それが結局西川研究室のミッションであり、「日本を変える」という事だったんですね。




さて、ここまで西川研究室の事を僕の経験も踏まえながらお話してきましたが、僕にとって一番大きかったのはこの過程を踏んだことです。

 

一番最初に教員を志した理由は、プロ野球選手という夢に挫折し、行きたい大学にも落ち、たまたま入った大学が教員免許を取れる所で、給料も安定してるし「じゃあ教員でいいか」というのが正直な所です。

 

このまま現場に行ってしまえば僕はきっと惰性で教員をやっていたことでしょう。



しかし、西川研究室で活動したことで、「子どものために本当にすべきことはなんだろうか?」って考えたり、「自分や全国の先生が働きやすくするためにはどうしたらいいのか」って考えたり、「教育ってこのままでいいの?」と考えたりするようになりました。

 

つまり、本当に「日本を変えたい」と思うようになっていたんです。

 

日本を変えるためには現状の教員の枠組みで働くだけではダメだし、自分で考えて今までにない事をしていかないといけません。つまり、自分の主体性、創造性をフルに発揮する必要があります。

 

また、困った時は仲間に助けを求め、協力してもらったり、その分僕が協力したりもしました。愚痴を言っていただけではないですよ、、、。




振り返ると西川研究室は、西川先生よって『学び合い』で運営され、気づけば先ほど挙げた「主体性」「創造性」「コミュニケーション能力」の3つが鍛えられたんですね。

 

それは確実に現在の僕に活きています。西川研究室に入って良かったなぁと改めて思いました。

 

また、やるもやらないも、与えられた自由をどう使うかは気づかぬところでその後の自分に返ってきているんだなぁと気づきました。