今日は、中井さんらの「中学校理科授業における学習者の相互作用による自己評価に関する事例的研究」という論文についてです。
みなさん、「主体的に学習に取り組む態度」ってどうやって評価していますか?
今まで「関心・意欲・態度」だった所の名称が変わっただけだと捉えて、そのまま評価をつけている方もいらっしゃると思います。
しかし、名称が変わっているということは評価の方法も変えないといけないということです。
そもそも、「関心・意欲・態度」の時もどうやって評定をつけていたでしょうか?
正直、主観的に積極的にやっているかとか、提出物が出ているかとか、そういった所で評価している人が多いのではないでしょうか?
今回の、「主体的に学習に取り組む態度」というものは、
① 知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身に付けたりすることに向けた粘り強い取組を行おうとしている側面
② ①の粘り強い取組の中で、自らの学習を調整しようとする側面
という二つの側面を評価することが求められています。
目標に向かって粘り強く取り組めているか、見通しをもって自分の学習を組み立てれているかということでしょうか?
ただ、一人一人の「主体的に学習に取り組む態度」を評価していくのってどうしても無理があると思うんですよね。
先日もブログに書きましたが、教師が生徒一人ひとりの個人を見取ろうとするのは限界があります。
じゃあ、どうやって「態度」を評価すれば良いのでしょうか?
学習態度がどのようなものだったのか、一番わかっているのは本人ではないでしょうか?
また、『学び合い』のように、学習者同士が相互に関わりながら学習していれば、お互いの「主体的に学習に取り組む態度」について、把握している人も多いと思います。
そこで、自己評価を相互に評価してみました!っていうのが、この中井さんらの論文になります(でしょうか・・・?)。
この論文での実践は、「関心・意欲・態度」の自己評価を、学習者同士で相互に評価し合うという活動を通して、学習者による自己評価の妥当性について明らかにするものです。
評価の方法として、学習指導要領の教科の目標・単元の向く業、国立教育政策研究所がwebページで公開している評価規準を印刷資料として配布し、教師と学習者の共有化を図ったそうです。
これを今実践しようと思えば、この評価規準や学習指導要領の文章を「主体的に学習に取り組む態度」版にすればいいんですね。
結論から言うと、学習者の自己評価と、教師がつけた評価は、分析の結果相関性が認められ、
「学習者が行った自己評価は、多くの相互評価を含む妥当なものであり、それによって学習者は有益性を感じていた。これは、学習者が相互にかかわって学ぶことの成果と考えることができる。このように、学習者の授業におけるかかわりが、自己評価を妥当なものとしていく。」
と述べられていました。
自分だけで自己評価をすれば甘くつける人もいるかもしれませんが、多くの人に自分の自己評価を見られるとなればいい加減な自己評価はなかなかつけれられないですよね。
集団は僕ら教員の目は欺けても、友達同士の目は欺けない。
いい加減な自己評価を友達に見られて、その子にどう思われるか・・・というリスクも考えているんでしょうね。
こうして自己評価を相互評価することによって、自分の活動を振り返ることによってこれからの自分に活かすという評価本来の役割を果たす事もできるようになります。
ただ、このような評価方法をするには、授業自体もお互いが関わり合うような授業で無ければいけません。
ぜひ授業で「主体的・対話的で深い学び」を実践し、評価も「主体的・対話的で深い」ものにしてみてはいかがでしょうか?