明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

全身で四季を楽しめる新潟県生活も残り3ヶ月

今日、今年最後の勤務を終えてきました。

 

 

とりあえず2学期を乗り越え、ほっとしています。

 

 

3学期はいきなりスキー授業や1学期の剣道の続きなど、山場から入ります。

 

 

そんな来たる寅年2022年に向けて年末年始はしっかりとエネルギーをチャージしようと思います。

 

 

 

 

オミクロン株が出てきましたがいますが、来年に入籍を控え、最後の独身での年末年始になりますので、親戚にその報告も兼ねて帰省しています。

 

 

今は絶賛その道中、左側に琵琶湖が見えますので滋賀にいるんですかね。

 

 

大雪でサンダーバードが一度停車し、「速度90キロ以下で進行します」とアナウンスが流れました。

 

 

滋賀もすごい雪なんやなぁと思っていたのもつかの間、今あたりを見渡せば雪は皆無。

 

 

新潟にいたときの雪はどこに行ったのか。

 

 

ほんまに違う国みたい。

 

 

 

 

来年度からは神戸に帰るため、新潟がどれだけ豪雪に見舞われようときっと神戸は1ミリも積雪しないんだと思います。

 

 

雪がある生活に不便さを感じながらも、新潟のように自然が豊かな所は四季を五感で感じることができていたなぁと思います。

 

 

春には咲き誇る桜と山菜の天ぷら、夏前には田んぼに水が張られて幻想的な風景が広がります。

 

このころからカエルが鳴き始めます。そういえば神戸でカエルもあんまり見かけへんかったなぁ。

 

夏には田んぼの青い稲が育ち、日本三大花火と呼ばれる長岡花火をはじめ、多くの花火が見られます。

 

秋には山が赤く色づき、田んぼの穂も黄金色に輝きます。

 

冬になれば雪であたり一面が白銀の世界に。

 

 

 

新潟では豊かな自然のおかげで四季を全身で楽しむことができました。

 

 

 

神戸でも百貨店や街のイルミネーションなどで四季を楽しむことができますが、どうしても人工的なものがおおくなります。

 

それはそれで僕は好きなのですが、新潟のように豊かな自然を感じられるのもあと3ヶ月しかないので、残りの新潟県生活も全身で自然を満喫しようと思います。

 

 

 

それにしてもスキーなんて小学校のスキー授業と高校の修学旅行でちょこっとしかやったことない。

 

全身で四季を楽しむといったばかりですが、自然を満喫できてもスキー授業は雪国出身でない僕にとっては憂鬱です、、、。

提案し、理由を語ることで初めて選択できるようになる

先日、「先生だって完璧じゃない」という記事を書きました。



もちろん、僕も完璧じゃありません。



ごはんもすぐこぼすし、部屋の片付けとか苦手やし、できないことだってたくさんあります。



そんな僕が子どもに「キレイにごはん食べなさい」なんて指導すれば、ブーメラン刺さりまくりですよね。






僕は教育現場で「~しなさい」と言ったことがありません。



もしかしたら言ったことあるかもしれませんが、多分言ったことはありません。



できるだけ生徒に向かって上からの目線でものを言わないようにしています。



心がけている言い方は、「~した方がいいと思うで」って感じで提案する言い方です。






もちろん挨拶であったり敬語であったり、世の中でできなければいけないことはたくさんあり、それができていないのならば彼らに指導する必要があると思います。



ただ、上からの圧力で彼らに聞かせた所で、「なぜ」それをしなければいけないかを理解しなければ日常生活に繋がる指導になりません。



彼らに「させる」のではなく、自ら「する」ことを選択しなければいけないのです。



だから僕らは彼らに意味を語り、提案する事によって彼らが自らその行動をするように仕向けないといけません。




先日剣道の授業の最初の授業で


「剣道とかスポーツって、礼に始まり礼に終わるって言われてるけど、なんで挨拶ってしなあかんのやとおもう?法律とか校則で決まってる訳じゃないのに、何でやと思う?」


と聞いてみました。



すると、全員が


「分からない」


と答えました。




これを答えられるようにならないといけないのだと思います。



なぜ挨拶をするのか、なぜ敬語を使うのか、なぜ靴を揃えるのか?



彼らはこれらの意味を理解してやっと、その行動をするか、しないかの選択をします。



もちろん、そこでどちらの選択をするのかは彼ら次第です。



馬を水飲み場に連れていくことはできても、水を飲ませることはできません。



これと一緒で、彼らに提案することはできても、させることはできません。





僕らは、彼らがこの水を飲むか、飲まないかの選択ができる所までは連れて行かなければ行けません。



そのために、上からにならず、偉そうにならず、彼らに意味を語り、提案し続けます。

数学=マリオ?

最近やり始めたことが2つあります。



まず1つ目は、高校数学の勉強です。


来年の採用試験、数学で受けようかなと考えていて、とりあえず数ⅠAから勉強を始めてみました。


方程式とか組み合わせとかわりとまだできるところもあれば、絶対値を含めた不等式とかメネラウスの定理とかすっかり忘れてしまっているものもあります。


自分の記憶や問題集の解説を頼りにしながら問題を解いていきます。



数学って、この過程が面白いんですよね。


問題文で与えられるヒントを元に、確実に答えに近づいていく感じ。


まるで謎解きゲームですよね。





2つ目はマリオのゲームです。


小さい頃からマリオが大好きでした。


スーパーマリオブラザーズシリーズを始め、スーパーマリオ64マリオサンシャインマリオパーティー、マリオストーリーマリオカートなど、数々のマリオゲームをやり込んでいました。


しかし今は、任天堂Switchは同僚の先生に譲っていただいたのですが、やり込んでしまいそうだからと買ったゲームはみんなでできるようなマリオパーティーだけ。


先日、用があって実家に帰省すると、姉が「スーパーマリオ3Dコレクション」というカセットを貸してくれました。


小さい頃やり込んだマリオ64マリオサンシャインが入っています。


やってみると楽しくて楽しくて、でもマリオ64マリオサンシャインも3日でエンドロールが来てしまいました。



何が楽しいかって、村人とか看板とか、色んな手がかりを頼りにしながら物語を進めていく感じ。


進むには正しい順番で進まなくてはいけなくて、アイテムを手にしないと先には進めません。


どうやったらこのコースを攻略できるか、どうやったら次のステージに進めるのか。


謎解きをしながらゲームを進めていきます。




あれ、数学とマリオって一緒のことしてる?


じゃーマリオでも数学で育もうとしてる「論理的思考力」ってやつ育めるかも、、、?

ストレスチェックは職場改善の手掛かりになる

一昨日終業式があり、ついに2学期が終わりました。



長期休みに入りましたが、僕らはもちろん出勤があります。






そんな長期休みの初日、昨日はメンタルヘルスについての研修がありました。



ストレスチェックというものが最近学校にも導入されましたが、ストレスチェックには

 

①労働者自身のストレスへの気付きを促し、メンタルヘルス不調の未然防止につなげる

 

②ストレスの原因となる職場環境の改善につなげる

 

という2つの目的があるそうです。



②に関しては僕が知らない部分だったので、とても勉強になりました。





ストレスが少ない職場環境にするために(特に学校現場において)大切なことが2つあるそうです。




まず1つは、仕事を増やさないこと。



学校の先生はただでさえ仕事が多いです。



毎日の教科の授業はもちろん、部活、行事の計画、教材費等の会計、成績の処理、通知表の作成など山積みです。



そんな中、「子どものため」とか「保護者のため」と仕事を増やしてしまえば身体的なストレスがかかってしまいます。



今の学校現場ではできるだけ仕事は増やさず、むしろ削減する方向で進めた方がよさそうです。



ちなみに、今の先生方にとって負担となっているのは上位常連の保護者対応に加えて、「GIGAスクール構想への対応」が大きなストレスとなっているようです。



実は、タブレット使用状況があがれば学力が落ちてしまうというデータもあるんだとか・・・



タブレットを使うことが目的になってしまっている学校が多い事が原因として考えられますね。





少し話がそれてしまいました。





2つめは、教員間の連携をしっかりととって、協働して仕事をすることです。



特に小規模の学校になれば、校務分掌が一人の先生に多く当てられ、一人で仕事をすることも多くなってしまいます。



やっぱり一人で仕事をするってなかなか孤独感を感じてしまいますし、頼れる人がいないというのはなかなかストレスになってしまいます。



「助けて!」といったら誰かが助けてくれる環境、「これどのようにしたらいいですか?」と相談できる環境、「一緒にやってあげるから頑張れ!」と協力できる環境が構築できていれば、ストレスもたまりにくいです。



俗にいう“心理的安全性”ですね。





学校現場では、子どもの対応などに気を取られ、なかなか自分に関心を持つことが難しいです。



その結果、気付かない所でストレスがたまってしまったりもしてしまいます。



この2つを学校現場で実践する事で先生方の心の余裕を確保し、より教育の質を高められるといいですね。

目的がない高学歴はリスクになる?

日本では少子化が問題視されています。



なんで少子化が始まってしまったのでしょう?



僕の意見として、その背景には高学歴化があると思います。





一般的にも経済的にも、学生結婚とかってあんまりしませんよね。



結婚だけならまだしも、学生のうちに子どもを産んで育てるなんてような事はなかなかできません。



大学を卒業するのは22歳、大学院まで出ている人は24歳です。



つまり、大学や大学院までいっている人の多くは22歳、24歳まで子どもを産もうとしません。





また、子どもを産むのに年齢も関係してきます。



高齢出産は子どもにも影響が出てくる可能性が高まることも報告されていますが、それ以外にも体力も減少してしまいますし、流産のリスクも高まってしまいます。






そうなってくると、高学歴であればあるほど出産人数が減ることが予想されます。





もちろん、高学歴なのが悪いことではありませんし、結婚や出産にも色々な形があります。



ただ、「とりあえず働かなくてもいいから」で大学や短大に行っている人は、このようなリスクも背負っていることを理解するべきです。



出産にリスクを伴ってしまうだけでなく、経済的にもリスクが高いです。



学費も支払わないといけない、奨学金も借りている、本来働いている時間を学業に費やしている。



大学に進学するということは、実はこんなにもリスクを背負っています。





僕の親世代ぐらいまでは、大学はきっとエリートが行くような所だったと思うのですが、今は別にそんなこともありません。



学力的には誰でも入れるような大学、いわゆるボーダーフリーと呼ばれるような大学もあります。



なんの目的もなく、とりあえず大卒という肩書が欲しいから大学にいくという選択肢が、これらのリスクを上回るメリットだとは思いません。






少子化の話とは最後は少しそれてしまいましたが、進学は偏差値で決めたり、とりあえず行けるとことに行くのではなく、「将来何がしたいか」という所を逆算した上で目的をもって行うべきです。



そうでなければ、高学歴であることはむしろリスクになることも理解しておくべきです。

先生だって完璧じゃない

廊下を歩いていると、こんな会話が聞こえてきました。



「先生方って時間守れって言うくせに、授業の時間普通に過ぎる事あるし、授業時間過ぎても次の授業に遅刻したら怒られる。何も言わんけど小学生の頃から思ってたんよね。」



もっともすぎる・・・





子どもに言っているけど自分はできていない。



そんなこと、結構ないでしょうか?





時間に限らず、給食の食べ方、挨拶の仕方、言葉の使い方など。



自分ができていないのに生徒に偉そうに言ってしまう場面って自分では気付かないだけで結構あると思います。



こうやって記事を書いている自分も、多分いっぱいあります。





これの対策としては、“偉そうにしない”という所が大切だと思います。



僕ら教員は子どもを大人にすることが仕事で、社会で生き残っていけるように指導する事が大切です。



僕らは大人社会で生き残っていて、しかも“先生”と呼ばれる立場なので、あたかも自分は完璧であるかのように錯覚してしまいます。





でも、我々大人だって、教員だって一人の人なんです。



全部が完璧にできる人なんてなかなかいません。






それを自覚した上で指導すれば、少なくとも“偉そうに”指導することは減っていくんじゃないかなと感じます。



「自分も一人の人間やからもちろん完璧じゃない。でも、みんなも時間を守るって事は大人になる上で絶対にできた方がいいと思うから、徐々に直していこうな。」



こんな感じの指導をしてみればいかがでしょうか?

剣道の礼法指導もコンプラ違反?

剣道の授業をしています。



まだ単元の最初なので礼法をやっています。



立礼、正座、座礼、左座右起、黙想など・・・。





ところが、彼らの多くは正座をすると「痛い!!!」と、数秒しか正座をすることができません。



確かに体育館の床に裸足で正座するとすぐにしびれてしまいそうですが、そんな足つぼ推した時ぐらい叫ばれるとなぁ、、、。



足首が硬いから?





コンプライアンスが叫ばれる今、「ちょっとぐらい痛くても我慢しなさい。それが精神を鍛えることに繋がります。」なんて真顔で言ってしまうと、下手すると体罰になりかねません。



そのあたりってどうなのでしょうか?





まぁ別に将来正座をする事とか、左座右起で立ちすわりする事とかもありませんのでこれができた所で別に彼らにとって得かどうかは別の話になるんですが、かといって礼法は剣道をやるにあたって必要な項目なのでやらないわけにもいきません。






ってかそもそも礼儀作法を教えるんやったら体育で剣道を取り入れるんじゃなくて、日常生活で必要な場面を想定したアクティブラーニングとかすればいいのに。



まぁ分からんでもないけど、もうちょっと教科で目指すところを明確にして(指導要領で明確にはなってるんですが)、やることを絞っていった方がいいのになぁと思います。