明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

あの人“なんか”仕事できるよな

家の近所のミスドで、いつも通りドーナツ1個とロイヤルミルクティーを頼んで、勉強をしていました。

 

 

今日接客してくれたレジのお姉さん、なんか感じがよかったです。

 

 

僕が商品を受け取って勉強していると

 

同じレジにおばあちゃんが来ました。

 

 

店員さんはそのおばあちゃんをみると、レジから出てきて近くで接客をしました。

 

 

そんな姿をみて、「この店、やっぱりいい店やな」って思いました。

 

 

この、「なんかあの人いいな」ってのは、メチャクチャ大切なことやと思います。

 

 

仕事しててもそういうのって結構あって

 

「この人に任せときゃ大丈夫やな」

 

とか、学校で言うと

 

「あのひとのクラスなら大丈夫やな」

 

って言う人が、「仕事ができる人」なんだと思います。

 

 

ほんで、どういう人がそうやって(仕事ができる)思われるかっていうと

 

そこはなかなか説明しづらいですよね。

 

 

山口周さんのお言葉をお借りすると、「サイエンス」と「アート」の違い

 

楠木建さんのお言葉をお借りすると「スキル」と「センス」の違い

 

前者は、言葉で説明できたりとか、資格という形になっているもの

 

後者は言葉ではうまく説明できず、形にもなりづらいもの。

 

 

「あの人なんかいいな」っていうのは、アート的な能力であり、センスです。

 

 

この、センスというのの特徴として、「人と比べられない」というのもあって

 

きっとここはセンスではなくアートで例えた方が簡単かなぁと思います。

 

 

ピカソゴッホ、どっちが優秀かとか、B'zとGLAYどっちがすごいかとか

 

売れたCDの枚数とかで無理やりランキングをつけることがはできますが

 

そこに存在するのはどっちが上か、とかではなく好き嫌いというところだと思います。

 

 

仕事ができるかどうかという所も、資格を一杯もってるとか、エクセルを使いこなしているとかということよりも

 

「あの人なんか生徒との関係作り上手いよな」とか、「あの人なんか仕事早いよな」とか、この「なんか」の所が大切になってきます。

 

 

そういった意味で、朝出会ったミスドのお姉さんは「なんかいいな」と思えるような、センスのある人だったんだと思います

 

 

ただし、スキルが不必要なわけではなくて、資格をもってないとできない仕事もあるし、エクセルを使いこなせた方が仕事は早くできるわけです。

 

 

では、センスの磨き方は?と言われるとそこまでまだ考察できてないのですが、

 

「あの人に任せときゃ大丈夫よな」って思われるような教員になりたいです。