明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

性善説に立った生徒指導は効果があるのか?

今日は週の初日。

 

 

僕は結構今の教員という仕事が気に入っているので、特に毎日帰ってきてから変な疲労感があるわけでもないし

 

朝起きて「あぁー、仕事行きたくないなぁ、、、」という気持ちに駆られることありません。

 

 

帰ってきたら「今日も頑張ったなぁ」と充実感を感じるし、朝起きたら「今日も頑張るかぁ」と学校に向かうことができます。

 

 

しかし、やっぱり自分が苦手な仕事、負担だと思う仕事が回ってくると帰ってきてからいつもより疲労を感じます。

 

 

今の仕事でいうと、ズバリ生徒指導が僕は苦手です。

 

 

大学院では、集団をどのように動かしていけばいいかとか、個人を動かす力が教員には無いこととか、そういったことを学びました。

 

 

「馬を水呑場に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」

 

という例えは未だに僕の印象に強く残った言葉ですが

 

それでもやっぱり僕ら教員は、間違ったことをしている生徒には「個人的に」指導しなければいけません。

 

 

でも、校則ってそれ以上の価値はないし、それを破ったところで

 

先生に指導される、放課後にちょっと時間を取られる

 

ぐらいのデメリットしか無いことぐらい彼らは分かっています。

 

 

昨年、中学生に対して指導するときも僕は彼らのことをもう一人の大人として関わっていたつもりですが

 

それが高校生になればなおさら彼らは大人なので、そのぐらいのことは分かっていることは僕も分かっています。

 

 

でも、校則を破ることが他の生徒に迷惑をかけていたり、学校の雰囲気を悪くしたりしていても

 

僕らができるのは制裁ではなくあくまで指導なんです。

 

 

結局、指導されるということが彼らにとってあまりデメリットにはなっていない気がするし

 

その指導も「指導すればかならず彼らはよくなってくれる」という性善説でいくしかないので

 

指導したところできっと彼らはなにも変わらないと思います。

 

 

高校は特に義務教育ではないので、他の生徒に迷惑をかける、学校の雰囲気を悪くするような生徒には

 

指導という形ではなくなにか制裁が必要じゃないかなと思います。

 

 

法律を破ったら警察に捕まる、交通違反をしたら青キップを切られるといったように。

 

 

義務教育ではないとはいえそれは厳しいんじゃないかという人もいるかもしれませんが

 

むしろ義務教育ではないと考えるべきで、彼らはもう大人なんです。

 

 

そのぐらいやれば、僕ら教員も生徒指導しやすいなぁと思います。

 

 

ま、生徒指導というところで言えばですよ。

 

 

基本的にはやっぱり教員ができることは、個人ではなく集団を動かすということだけだと僕は思ってますので。

 

 

にしても、やっぱり生徒指導は苦手やなぁ。