明日の自分へ

高校教員です。朝か夕方に、ほぼ毎日なにか書きます。

指導の多様性を認めないと

学校って、特に学級って担任の先生の色が色濃く反映されます。



それだけ担任の先生の子どもへの影響って大きいということですね。



僕は特に担任には入っていません(特別支援学級の担任やけど、そっちの子も結構通常学級の色が反映されている)。



あ、部活は結構僕の色が反映されているかも、、、



それでも部活動ってやっぱり教育課程外の活動やし、大部分は学級担任の先生の色が入っています。



もちろん、担任の先生の色よりも彼らが元々持っている色の方が濃いので、担任が変わろうと芯の部分は変わらないみたいですが。





ただ、やっぱり人間一人ひとり考え方や性格は違うもので、他の先生方がしている指導について僕の考えと違う所が違うところがあります。



それは仕方ない事なんです。



先生一人ひとり考え方が違う事はむしろ学校にとってはプラスだと思います。



ある生徒に悩みがあって、A先生の考え方が合わなくても、B先生が合ってたらそっちに相談できますし、



先生同士で得意、不得意があるならそれを補う形で連携しながら指導をすればそれがいい方向に転がったりと



いろんな人がいるというのは集団にとってプラスになると思うんです。






でも、やりにくさを感じない場合がある事もあります。



例えば、一緒の空間で生徒を指導している時。



その時は先に声に出した先生に発言権があって、思っていることがあっても生徒の前で意見を食い違わせることはできないので黙るしかない。





一緒の空間にいなかったとしても、担任の先生の方針があるからそれに背くような事はなかなか言えない。






って考えるって時点で僕自身がまだ指導の多様性を認められていないということなんだと思います。



「こうしなさい!」とか「こうするべきだ!」という考え方から「こういう考え方もありよね」って考えに早く移行しないとですね。