今回はこの本についてです。
『学び合い』であっても『学び合い』でなくとも、見取りが大切であることは言うまでもありません。
しかし、教師1人だけの見取りだけで全てを見取れるという超人もいません。
まずはこのことを、ちゃんと理解しておく必要があります。
そして、大切なところが「そのクラスで何を良しとして、何を駄目としているかという集団のルールというか価値観が、一人一人の子どもの行動を決めている」という所だと思います。
『学び合い』が成り立つ理由もここにあると思います。
『学び合い』は一人も見捨てないという事を繰り返し繰り返し子どもに語り、そのためにどのようにすれば良いのかという問題解決の方法も子どもに任せます。
例えばこれを一人一人の子どもに理解させようと思うと、それを受け入れられる子どもはいいのですが、30人も子どもがいればもちろんそうでない子どももたくさんいると思います。
その中で、分かっていない一人一人に指導するのもキリがありませんし、今回のテーマである見取りという所で考えても、一人一人が分かっているか、分かっていないかという事を見取って把握するのも紺なんだと思います。
そもそも、分かるということが分かっていない子どももいるのですから。
「一人も見捨てない」というのを個人ではなく集団語りかけ、集団を見取ろうとするのは可能なのではないでしょうか?
細かい見取りはテクニックが必要ですが、ざっくりと集団がいい方向に向かっているかどうかはなんとなく見取ることができると思います。
それを見取ったうえで、「一人も見捨てない」集団作りができているかできていないかを具体的に集団に語り掛ければ、それを理解した上位2割が動いてくれる。
その上位2割が他の子どもたちに「一人も見捨てない」ためにどうすればよいのかを語り掛け、集団に広げていく。
教師一人ひとりで全員を見取り、全員を指導するよりは、こっちの方が効率がいいし、できそうじゃないですか?
教師が全てを見取りたい理由としては、“管理したい”という考え方が根強く残っている事が原因として考えられると思います。
例えば、ICTを自由に使わせたら遊んだり良くない生徒が出てくるかもしれないと、管理する学校が多いようです。
また、何か問題が起こるとすぐに“禁止”という手法を使うことが多いですよね。
ただ、禁止してもなかなか効果は出ません。
禁止して解決するなら、いじめも不登校も禁止すればなくなるんじゃないでしょうか?
でも、彼らは教員の見えないところで禁止した事をするようになりますので逆に陰湿なものになってしまいます。
禁止、禁止で制限することはその場しのぎにはなっても、根本治療にはなりません。
それよりも、ICTをどのように使えばいいのか、本当に大切なのは彼らにいじめが良くないということなどを理解させる必要があると思います
ってか、そんなことほとんどの生徒がわかってますよね。
にもかかわらずそれが起きてしまうということは、集団がいじめを許容してしまっているということです。
先ほども言いましたが、彼らは「そのクラスで何を良しとして、何を駄目としているかという集団のルールというか価値観が、一人一人の子どもの行動を決めている」ので、何か問題があったらそれに対して個別に指導するのではなく、集団として指導する必要があります。
先生の見取りには限界がある、ということを心得て、ぜひ集団を見取り、集団に語り掛ける指導をしてみてください。