いつもすき家で牛丼並のサラダセットを頼む性格について

コロナ夏休みを機に読み始めた小説。その中でも原田マハさんの小説にハマっています。

 

ただ、どこかハマっているという表現が自分の中でしっくりきません。

 

どちらかと言うと、小説を選ぶ中で「原田マハさんの小説なら不正解である確率は低いだろう」という感じになるんですかね。

 

 

 

僕って、できるだけ不正解を引きたくないんです。

 

不正解と言うか、例えばラーメン屋にいったとしても変わり種を頼むことはせずだいたいはいつも同じものを頼むし、すき家では悩んだ挙句いつも牛丼並のサラダセットやし、映画も見たことがあって面白かったものをリピートしてみることが多いです。

 

チャレンジしてみて「あぁ、やっぱいつものにしとくんやった・・・」と後悔するのがメチャクチャ嫌いなんです。

 

堅実に生きてるという言い方もできると思うのですが、この常に最適解を求めているような生き方には自分自身でも「う~ん、、、」と思う事があります。

 

 

 

だって、面白くないじゃないですか、何かに期待することに怯えて、自分の中で正解に近いものばかりを選んで生きていくのって。

 

教師という仕事を選択したのも、正直そんな自分の性格上教師という仕事が「正解に近い仕事である」という理由も少なからずあります。

 

教師になっておけば世間からも「先生」と呼ばれ慕われることが多いし、公務員やから給料もそこそこいい。転勤も自治体の中だけでしかないし、終身雇用・年功序列で将来的にも安定している。

 

そんな正解に近い職業と僕は考えていたから、大学が決まったの際に教員免許が取れるというだけで「じゃあ教師でいいか」と軽い考えで決めたのだと思います。

 

 

 

ただ、大学院ではいろんな事にチャレンジされている方が大勢いらっしゃいました。

 

大学院在学中の2年間で、学外のイベントにもいくつか参加させていただきましたが、いわゆる意識高い系の人は安定よりもむしろ自分が面白い、ワクワクする方へ積極的に挑んでいる人が多いように思いました。

 

 

 

そんな人たちに憧れを持ちながらも、20年ぐらい堅実に生きてきた僕はなかなかそんな自分の殻を破る事はできず、まだまだすき家では牛丼並のサラダセットを頼んでいます。

 

なにかきっかけが欲しい。

 

そう思って最近はいろんな事にチャレンジしています。

 

小説を読むだけでも、今までの僕からしたら大きな1歩なんですけどね。

 

自分をアップデートさせるためにも、もっともっと自分がワクワクする方に進んでみようと思います。